ウオルター・ミシェル著、柴田裕之訳、早川ノンフィクション文庫、2017年6月刊
著者は1930年、ウィーンに生まれ、幼少時にナチスから逃れてアメリカに移住しました。コロラド大学、ハーバード大学、スタンフォード大学を経て、現在はコロンビヤ大学心理学教授です。専門はパーソナリテイ理論、社会心理学で、本書のテーマ「マシュマロ・テスト」の生みの親として著名です。本書でゴールデン・グース賞を受賞しました。
この実験が最初に行われたのは、1960年代のスタンフォード大学のビング保育園でした。園児が喜ぶマシュマロを1個与えて、ただちに食べても良いが、20分待てば2個あげると教えて、どちらかを選択させるテストです。子どもたちは、ジレンマに悩みます。幼児でさえも誘惑に耐え、あとで2倍の褒美をもらうために我慢する姿は涙ぐましく、幼児の秘められた能力は、実に新鮮なものでした。著者は、自身がせっかちな性格で、自制心を働かせるのが苦手でした。エデンの園で、アダムとイブが誘惑に負けた話もあります。
さらにこの実験をフォローしたところ、幼児たちが欲求の充足の先延ばしに成功するか、あるいは我慢できずに失敗するかは、彼らの将来について多くが予想できることがわかったのです。これは全く意外なことでした。4~5才のときに、待つことができる時間が長いほど、大学進学適性試験の点数が高く、青年期の社会的、認知機能の評価が優れていました。30才台にかけても、肥満指数が低く、自尊心があり、目標を効率的に追求し、ストレスにもうまく対処していたのです。先延ばしのできなかった人とは、明確な違いがありました。欲求の充足を先延ばしにする能力は、先天的なものだったのでしょうか。
私たちの腦の中には、即時の欲求充足を求めるキリギリスのような「ホッとシステム」と、将来の結果を考えて欲求を制御するアリのような「クールシステム」があって、主導権を争っています。この「クールシステム」が、天性のDNAで決まっているのかが、問題となりました。著者は、さまざまな実験を通じて、断じて違うと明言しています。
赤ちゃんが発育してゆくとき、初期の情動的経験は、腦の構造に深くとどめられ、その後の人生に大きく影響することは明らかです。初期段階にクールなスキルを伸ばすような手をさし伸ばせば、改善の可能性が高く、2~3才ころまでに自分の思考や感性、行動をコントロールできるようになります。支配的な母親がいても、勝手に遊んだりしていた子は、「自制」に成功し、母親といつまでも離れなかった子は、「誘惑」に負けていました。
人間の本質は、その核心のところで順応性があるのか、あるいは一定不変なのでしょうか。著者らの長期にわたる調査によって、腦はこれまで考えられていたよりもはるかに柔軟で、変化を許容できることが明らかになりました。たとえ知能のように、特性が遺伝子によるとしても、かなりの可塑性がありました。遺伝子と環境は相互作用しており、「生まれか育ちか」の議論を超える、柔軟性があったのです。デカルトの有名な金言の「我思う、ゆえに我あり」は、「我思う、ゆえに我自らを変えうる」になります。もしそれを疑問視する人がいたとしても、本人がそうありたいと願うことこそが最も重要なのです。「了」
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