尾崎左永子著、岩波新書2011年2月刊 著者は、1927年東京生まれ、東京女子大文学部国語科卒、佐藤佐太郎に師事した歌人、エッセイストです。歌集は多く、放送作家、作詞家としても活動しました。著書では「源氏の恋文」(求龍堂)で日本エッセイイスト・クラブ賞。「源氏の薫り」(同)、「新訳源氏物語」(小学館)、「神と歌の物語—新訳古事記」(草思社)などがあります。
著者は、戦前の小学生のころから、平家物語などの古典に親しんできました。1960年代に、ハーバード大に勤務する夫君とともに、ボストンに住みましたが、アメリカ人の学者との家庭パーテーで、日本の古典文学について質問攻めに会い、愕然とします。そこであらためて日本語や古典文学を、深く学ぶことにしたのです。晩学の王朝文学でした。
奈良時代からの日本では、永いこと公式文書を漢文で記し、王朝時代に入って「かな」が発達しても、公卿の日記などは漢文で書かれていました。漢詩もさかんで、漢詩文が政治家や官僚の必須の条件になっていました。この流れが変わったのが、醍醐天皇による「古今和歌集」の勅撰でした。「漢詩」から「和歌」への流れには、王権復活、親権政治への願いが込められていたのです。宮廷歌壇が生まれて、貴族社会に大きなインパクトを与えました。男も女も「古今和歌集」を丸暗記していなければ、会話もできないほど教養の基礎となったのです。明治になって。正岡子規が異論を唱えて批判しましたが、その価値は絶大なものでした。六歌仙として在原業平や小野小町らが活躍しています。
「かな」による日記も、紀貫之が女に扮した「土佐日記」を皮切りに、多くの女流日記が生まれました。「蜻蛉日記」の作者道綱母は、本朝三美人の一人で、藤原北家の長者兼家の側妻となりましたが、兼家の不実に悩み、リアルな私小説日記を遺しました。「夢よりもはかなき世の中を」で始まる「和泉式部日記」も魅力的です。歌物語とも呼ばれました。和歌に詞書がついて、物語になってゆきます。「伊勢物語」は「歌物語」でした。高貴な生まれの在原業平は、不遇であっても歌の才で、藤原氏を大きく抑えたのです。
紫式部と清少納言は、よく比較されますが、一条天皇の後宮に出仕したことは同じでも、その作品は全く異質なものでした。「枕草子」は、四季の趣を取り込んだ自然描写が見事です。簡潔でノリが速く現在的でわかりやすい。とくに後半の藤原行成ら公卿たちと、宮廷女房たちの機知に溢れた会話は、フランスのルイ王朝のサロンを思わせます。
「源氏物語」54?帖は、別格の長編小説で、成熟した宮廷文化が生んだ、優れた心理小説です。光源氏の恋の遍歴は、すべて母恋いが基調にありました。紫が主役の歌物語となっています。業平の「春日野の若紫のすり衣しのぶのみだれかぎり知られず」を踏まえていました。香の薫りもよく出てきます。貴公子は、「薫香」を競い、女房たちはその香を聞き分け、香だけで誰かがわかったのです。朧月夜が朧夜に突然光源氏に抱かれて声を上げなかったのも、その衣香で相手が分かったからでした。恋文も必須の教養で、女房の手引きで貴公子は、垣間見から通い婚に進みました。「夜這ひ」は「呼ばひ」からきたのです。著者は、王朝時代の暮らしを、内裏から貴族の邸宅まで、詳しく記していました。「了」
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