ヤマケイ文庫、2019年7月刊
著者は1959年、長崎県生まれのフリーカメラマンです。日本全国を放浪して、農林水産業の現場取材を続けてきました。とくにマタギの狩猟について、多くの著書があります。
山には、不思議な出来事がたくさんあります。現代社会では、街から闇が駆逐され、妖怪は住処を追われました。ごく近年まで、ありふれた存在だった妖怪は、完全に絶滅してしまいました。しかし、山では夜になると、今でもあたりは漆黒の闇に包まれ、何者かが潜む、底知れない恐怖に襲われるのです。そこでは実際に、様々な不思議が起こっていました。
著者は、マタギ発祥の地とされる、秋田県北部の旧阿仁町によく通いました。そこにマタギ集落の打当があります。富山の薬売りが、クマの胆を買い付けに来ました。なじみのマタギの家を一軒一軒回るのです。それがある夜、行方不明になりました。仲間で探しにゆくと、何と沢の中で素裸になっているのが見つかりました。本人は、「今まで見たこともない美人に出会って、家まで誘われ、一緒に風呂に入った」というのです。それを聞いた集落の豪胆な若者が、「そんなことある訳ねえ、捕まえてやる!」と、夜道を一人で出かけました。
暗がりの中に誰かが後ろ向きにしゃがんでいたので、「誰だ?」と怒鳴ったら、振り向いたその顔は、人間でない物凄い顔だったのです。若者は、その後3日間、高熱で寝込んでしまいました。これらは大昔の話ではありません。たかだか40年ほど前のことだったのです。
打当集落を、日が暮れてからクルマで訪れた客がいました。途中で狐の親子がいたので、からかってわざとライトを当て、追い回したと面白げに言います。その夜、仲間の家で楽しく酒盛りして寝たら、トイレに出たのかいなくなりました。皆で気が付いて大騒ぎとなりましたが、夜明けに、ぼんやりと帰ってきました。話を聞くと、「夜中に呼ばれて目を覚ますと、暗闇に美人が立っていた。誘われて追いかけましたが、なぜか追いつけない。一晩中集落の中を追いかけていた」というのです。仲間はあきれて、狐をからかうなと笑いました。
また森林組合の仲間が作業で山に入ったら、チェーンソーの音が聞こえました。メキメキ、ドーンと大木が倒れる音までしたので、「誰か先に作業しているべか」と思ったのに、そんなはずはありません。作業道もない場所です。全員が確かに聞いたという不思議な話でした。
阿仁マタギが住み着いたという新潟県秋山郷は、近年まで焼畑農業が行われていました。ある夫婦が4歳の一人娘を連れて、山で畑仕事をしました。午後になって、娘の姿がありません。夫婦はもちろん集落全員で探し周りました。ところが、奥山の大きな岩の上で笑っているのを、木材の伐採中の男が見つけたのです。子どもが一人で行ける訳はありません。
奥秩父の旧大滝村でも同じような話がありました。やはり4歳の女の子で、畑仕事の両親から行方不明になり、村中大騒ぎで捜索したら、とんでもない山中の大樹の下で遊んでいました。また森林組合員らは、火の玉が山から山へ飛ぶのを見たそうです。ヤマドリに夜光虫が付いて光ったのでしょうか。またごく普通の子どもが狐憑きになり、別の母親に移りました。三峰神社の御眷属(オオカミ)の御札を貼って、ようやく異変が収まったといいます。
これらの不思議は2018年、NHKBSで「山怪」(異界百名山)として放映されました。「了