光文社新書、2013年11月刊
先にご紹介したように、人間が青汁だけ、あるいは極端な低栄養でも生きている現象が、確認されています。その理由を考える手がかりがパンダにありました。
パンダは本来肉食動物でした。腸管の構造からみて、これはほぼ確実です。しかし何らかの事情があって、もとの生息地を追われて、北の高緯度地域に移動したのです。その原因は人類の祖先が侵入したためという説が有力です。高緯度地域にはエサとなる動物が少ないため、仕方なしに生えていたササやタケを食べる生活に適応したと考えられています。
しかしセルローズを分解する酵素を持たなかったパンダが、なぜタケだけを食べて生きられるようになったのかは、長い間ナゾとされてきました。それが解明されたのはごく最近のことです。パンダの消化器から、セルローズ分解菌が発見されたのです。そのうち13種はすでに知られているセルローズ分解菌でしたが、7種はパンダ特有のものでした。
進化はごく短期間のうちにも起きていたのです。エサがなくなるという死活問題に直面したからでしょう。セルローズ分解菌は、そこに草食動物がいれば、必ず存在しています。その菌はササやタケにも付着しているので、食べれば腸内に入るでしょう。通常なら、もとから棲みついていた常在菌に負けてしまうところですが、絶食状態が続いていたパンダの腸内細菌は、極度に減少していたはずです。新参のセルローズ分解菌の一部は生き残りました。彼らも必死で、新しい腸内環境に適応したのです。肉食獣パンダの大腸に到達したセルローズ分解菌は、セルローズを分解して、短鎖脂肪酸やビタミン類を生産し始め、その栄養をパンダに供給しました。パンダの日常が戻ったのです。
ただ肉食ができずに絶食して、草食に転換した期間は、せいぜい1週間だったはずです。餓死する寸前に救いがあったとは、よほど運のよいセルローズ分解菌に出会ったということで、まさしく奇跡だったのでしょう。とすれば他の哺乳動物でもありうることです。
ここで本書を離れて思い出すのは先の大戦で、南方ジャングルでの日本兵の、壮絶な戦いでした。無謀な作戦で弾薬はもちろん、食糧の補給を絶たれて彷徨い、殆どの兵が餓死したといいます。ガダルカナル島は餓島と呼ばれ、インパールは、さらに厳しかったのです。
私はたまたま中小企業診断士の会で、インパール作戦生き残りのYさんと、親しくお付き合いをさせて頂きました。陸士出身のY中尉は軍団長副官として最前線で指揮を執りましたが、全く補給を絶たれた極限状態のあまりの厳しさに、大本営の命令に敢然と反対して、独断で撤退命令を出しました。そこでようやく少数が生還できたのです。Yさんは長くインパール作戦生き残りの会の会長をされていましたが、先年惜しまれながら他界されました。もし当時の前線で、パンダのような奇跡が起きていたら、もっと帰れたことでしょう。
しかしパンダでも、ササやタケだけを食べているので、タンパク質(アミノ酸)をどこから調達しているのかは、現在もまだ深いナゾだそうです。今後の研究が待たれるところです。
特殊な分解菌は他の例でも見られます。海藻の細胞壁を分解する細菌の酵素が、日本人の大腸から見つかりました。世界で最も海藻を多く食べる理由が証明されたのです。「了」