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『予防原則』とは、良い方向と悪い方向の両面の可能性がある課題について、確実なことが言えない、判断できない場合は、悪い方向にならないように予防的な行動、判断を重要視する。
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という立場です。
たとえば、「地球温暖化問題」でいえば、両方の可能性が科学的に議論されている段階では、
悪い方向「地球が温暖化して、気候の悪影響を多大にうける」という想定を採用し、その原因となる「温室効果ガス」の削減行動を重要視する。
という立場をとる。
これは、農薬の多量使用においても、同じ姿勢であり、1962年ころにアメリカにおいて農薬の多量使用が原因と思われる問題が各地で頻発しました。有名な「沈黙の春」という著書を書いたレイチェル・カーソンが「農薬による被害」を警告して、生態系の破壊を防止すべきとして環境保護運動をおこした。その原因が確実に解明されていなくても、悪い事態を事前に予防するには、農薬の使用をやめることが社会的に合意された。
農薬の製造企業は、あらゆる方策で問題のないことをアピールしたが、「環境保護団体」の姿勢は、この『予防原則』を貫き、世界的にも、この考え方が広まっている。
遺伝子組み換え作物(GM作物)については、製造企業は農薬を減らせるというアピールをしているが、その作物が生態系に対して、影響を及ぼさないという証明はできていない。
ここで科学論争からはなれて、社会的な行動基準に、この「予防原則」の立場をとるか、それとも、科学的に証明出来ていなくても、新技術は積極的にトライして、効果があれば、採用して広めるべき。という立場にわかれます。
私の個人的な意見では、バイオマスエネルギー作物において、「予防原則」の立場に立ち、GM作物は当面、採用しない。という方針に集約するべきと考えます。生態系に全く影響がないと言える状況を作り出せるならば、「予防原則」に立っていても、許容出来ることになります。しかし、現実には密閉された工場のような農場というのは、想像するにおいて、実現できそうもありません。それならば、GM作物でなく、既存の作物の自然交配による改良によって、生産性の向上を図る方が現実的であるように思います。 渡辺雅樹記
<追記>
「自殺する種子」の著書の内容で、自分の種を残さない植物を意図的に作るのは、この、生態系の中に不用意に拡散する危険をなくす意味で、有意義な方策である。著者が、この問題を企業の独占的支配の問題として取り上げる意図であることは解りますが、GM作物の持つ懸念を補う面では効果のある方策である、と書いていない。独占的な企業支配の農業という面での問題提起であるが、GM作物の本質的な問題を深堀していない点で、当研究会の論点とは違っている。と思います。