英国の世界遺産ブレンナム宮殿を訪問 2014年5月27日荒川英敏 

  ロンドン便り その36

昨日、英国の世界遺産の一つであるオックスフォードシャーのウッドストック村にあるブレンナム宮殿を訪問しました。ここは第二次世界大戦時と戦後の一時期の英国首相だったウインストン・チャーチル(1847年-1965年 以下、チャーチル)の生家でもあります。ブレンナム宮殿はチャーチルの先祖である初代マールバラ公ジョン・チャーチルが1701年から1714年に亘って行われた、スペイン継承戦争(スペイン王室継承問題に絡んだ戦争)での戦功がアン女王から称えられ、贈られた土地(2100エーカ、約850万㎡、東京ドーム650個分の広さ)に蜂蜜色のコッツウオール石を使って建てられた大邸宅です。設計はジョン・バンブラで典型的なバロック様式の建築物で、着工は1705年、完成まで17年を要したと言われています。
cha01.jpg
 

  ブレンナム宮殿の正面玄関、建物は左右対称の造り
ブレンナムと言う名称はマールバラ公が指揮した、スペイン継承戦争の戦いの一つで、ドイツのブレンナムで勃発した、イギリス、オーストリア、オランダ連合とフランス、スペイン連合の戦いで大勝利を収めた事(1704年)から使われています。これは、宿敵フランスに勝ったと言うことで、イギリスのライオンがフランスのひな鳥を襲っている様子として、東門上部に置かれた石造りのモニュメントで表現しています。
敷地はとにかく広く、正門から宮殿の入り口となる東門まで700mくらいあります。宮殿はもともとあった森や川、湖(150エーカ、約60万㎡)に沿う様に建てられており、敷地の中央に、戦勝祝いの高さ41mのコラムが建てられ、素晴らしい景色を作り出しています。
cha02.jpg

  ブレンナム宮殿と湖(Webより)
宮殿の建物の広さは判りませんが、付随するウオーターガーデンやイタリアガーデンを含むと7エーカー(2.8万㎡)あるそうです。駐車場から東門を通り、中央広場を経由して宮殿の正面まで10分位かかりました。玄関の高さ5m、幅2m、厚さ20cmはあろうかと言う巨大な木製のドアに圧倒され、ホールに入ると天井高が20mもあるグレートホールと呼ばれる大空間でした。
 
正面には戦勝旗が3竿、両側や壁の凹みに配置された様々な彫刻、絵画、ポートレイト、そして圧巻は初代マールバラ公が神へ戦勝報告をしている見事な天井画で、ただただ目を見張るばかりでした。
cha03.jpgcha04.jpg

 天井高20mのホール チャーチルが描く玄関ホール

案内に従って、廊下を進むと両側に沢山の彫刻や世界各地から集めたマイセンや中国、日本の 有田焼等の陶器類が展示されていました。最初の部屋はチャーチル関係の展示スペースで、幼少時や軍人として参戦した第一次世界大戦や第二次世界大戦前後の政治家として活躍した多くの 歴史的な写真、手紙類、当時の新聞記事等、様々な物が判り易くデイスプレイされていました。更に、進むとチャーチルが41歳の時から始め遅咲きの才能を発揮した数々の油絵が展示されていました。41歳と言えば、政治家として第一次世界大戦の海軍大臣で多忙の中、多くの秀逸な絵画を描いたことは驚きでした。次の部屋がチャーチルが1874年に生誕した部屋で、ベットや調度品等が当時のままの状態で保存されていました。
cha05.jpgcha06.jpg

   レッドインテリアの居間      グリーンインテリアの居間のタペストリー

 更に、進むと南側の広大な芝生のフィールドに面した、インテリアが赤やグリーンで統一された居間、書斎が続き、圧巻はサルーンと呼ばれている天井高10mはありそうな大きなダイニング ルームでした。上を見ると多くの天女が舞っている見事な天井画がでした。このダイニングルームは毎年クリスマスの日に、現在の11代マールバラ公の家族で使われています。
cha07.jpgcha08.jpg

    ダイニングルーム            ダイニングルームの天井画 

  ダイニングルームから更に、第一、第二、第三応接間と続いており、これらの部屋には歴代の  マールボロ公やお妃、子供達のポートレイトや絵画が所狭しと飾られていました。見所はそれぞれの応接間の壁の一部に飾られている、特注のタペストリーでした。それらのタペストリーに描かれている刺繍画には物語があり、マールボロ公の戦場での戦いの状況や活躍の姿が多く描かれていました。
  これらの部屋を通り過ぎると、今度は西側のウオーターガーデンに面した、幅8m、奥行が50mもあるロング・ライブラリーと呼ばれている図書室でした。入ったら直ぐにアン女王の彫刻が目に入り、壁一面は本棚で蔵書は10,000冊以上、いずれも歴史的な古書ばかりで、チャーチルも若い頃からこの図書室を良く利用されたそうです。第一次世界大戦の時は、戦場から帰国した傷病兵の臨時の病室に、第二次世界大戦の時は、都会から疎開して来た学生達の宿舎になり、そして居間や応接間は教室に転用されました。
cha09.jpgcha10.jpg

   図書室           戦時中は学生疎開の宿舎に転用

  この様に桁違いに広大で変化に富んだ美しい環境が、偉人を生むのか、偉人が美しい環境を造りだすのか判りませんが、いずれにしても英国には、これらの美しい環境が代々にわたって引き継がれて来た場所が沢山あります。今後も、これらの遺産の敷地の手入れや建物の保守を地道に続けて行けば、正に末永く世界の遺産とし多くの人々を引き付けて行くことでしょう。最後に、やはり幼少期の育った環境は、偉人を生み出す極めて重要な要素の一つにではないかと思えてなりません。(了)

カテゴリー: メンバーの紀行文集 パーマリンク