吉田昌朗元東電所長の追悼 交換メール 2013年7月

  既報の通り昨日東工大のOBで、東電の吉田昌郎元福島第一原発所長が亡くなりました。入院直後から食道癌によるものと発表されていましたが、その詳細については入院後の1年強というもの、殆どその状況が伝えられませんでした。

そして、氏の死亡を受けての昨日の東電コメントでは「事故後の被曝量は70mSvであり、緊急時被曝の上限だった250mSvの範囲内である。また、食道癌の発症が認められるには通常5年かかる、と云った事から食道癌と被曝の関連は極めて低い」との事です。

この様な木で鼻をくくった様なコメントでは故人もまた遺族や或いは、事故直後から氏と行動を共にした部下や関連諸氏の皆さん達も浮かばれませんね。紋切り型の言葉でなくもう少し、血の通ったコメントが、出せなかったものでしようか

昨夜はそんな事もあって、当時の状況をYouTubeでチェックしてみましたが、大震災から9日目にあたる320日の関西での青山繁晴氏の講演が印象に残りました。

1)はどんな事情があれ、トップとしての菅首相が周りの状況も考えずに福島原発に乗り込んで、現場の活動を大幅に混乱させたこと。

2)は更に、東電が福島から全員撤退を図っている、との誤報に触発されたのかも知れないが、東電本社に乗り込んでこれまた、一番大変な時期に大混乱を招いた事により、菅首相は即時自ら退陣すべきだ、と訴えていたことです。(阿部 英二郎)

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吉田さんはご存知の通り大事な場面でこれ以上の災害から日本を救った人と思っています。危うく東日本全体が(東京も)避難住人になる所でした。原子力発電の今後にとって、世界で最も貴重な人材でした。惜しい人材を失いました。吉田さんは東工大の皆さんにとってはおおいに胸を張ることのできる方と思います。ご冥福を祈ります。 (岩田頼次郎)
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私は先週帰省して、女川原発の建設当時の土木建設部長であった人に面会して、建設当時と3.11における元部下たちの相談の状況をヒアリングしてきました。 東北電力と東京電力の違いは人間味の差異であるような気がします。 無責任集団のなかで吉田昌朗氏が所長として責任を全うしようとして奮闘したのだと思います。
だから先輩の菅首相にも堂々と説明して、東電本社からの情報が無い菅さんに吉田に任せれば良いと思わせたのだと思います。
当時の清水社長が病院に逃げ込んだのと比較すれば、吉田所長を称賛する人の多いのは当然だと思います。菅首相の行為は国トップとして当然の行為であり、米国であればオバマ大統領がミ ズーリ州の大洪水に真っ先に飛んで行ったのと同じです。 菅さんは歴史が証明すると言って弁解は一切しませんが、30年後に公文書が公開されれば分かるでしょう。でも残念なのは私たちがそれを確かめることができそうにないことです。
K-BRTSのどなたかが生き抜いて、後からこうだったと報告して下さることを祈ります。
長い歴史の中で、たまたま国のトップと福島原発のトップが東工大の後輩だったことは、人類にとって幸いだったと言えましょう。(篠崎正利)

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