この夏、東北をすこしでも元気にとの願いを込めて、7月1日からまた一人でみちの
くの旅に出ました。目指すは念願の名峰「月山」です。
山形側の姥沢から入って弥陀ヶ原に下り、羽黒山にお参りして鶴岡から新潟の留守宅
に回るという計画を立てました。
JR東日本の大人の休日周遊券の期間は、いつも梅雨の真っ最中に設定されているの
で、雨でもともと、晴れたら奇跡のような大バクチです。
それがなぜか今年も当たりましたね。つい先ほどまでの豪雨がウソのようなカンカン
照りの中を、山形駅前からの鶴岡行きの高速バスで
継いで姥沢に向かいます。
一日4便のマイクロバスの乗客は私一人だけ、地元ドライバーのおじさんとの世間話が
弾みました。先月までの高速道無料実験が終わって、ようやく国道沿いのお店に客が
戻ってきたそうです。
そういえば高速道での約一時間は、ほとんどクルマに出会いませんでした。
道路公団は有料化に戻しても収入ゼロになっているという、まるで落語のようなお話
です。
姥沢には50年前の6月に、夏スキーで来たことがありました。
半世紀ぶりの再訪です。周辺の見事なブナ林はそのままですが、当時の避難小屋は素
敵な山小屋に変わり、リフトまであります。その奥に懐かしい姥が岳の雪の大斜面が
広がっていました。
翌朝は願ってもない快晴で、クルマで来ているスキーの連中に混じってリフトで一
気に高度を稼ぎます。足元にはニッコウキスゲやハクサンチドリが咲き乱れ、左右の
ブナは次第に丈が低くなってゆきます。
終点がちょうど森林限界で、このあたりはもう一面の雪原です。
姥が岳の大斜面をアイゼンを効かせてひとのぼりすると1670mの頂上に出ました。
月山はすぐ目の前です。南には朝日連峰がまだたっぷりの雪に覆われて輝いていまし
た。
姥が岳から月山 牛首から姥が岳をみる
姥が岳周辺はもう一面の雪原で、7月中旬まではどこでもゲレンデのように滑れる
でしょう。夏スキーの天国といわれるのも尤もなことです。
月山へのルートも、半分は緩やかな雪原歩き、半分は花の道が続きます。
ヒナウスユキソウ ミヤマキンバイ
日本のエーデルワイスといわれるヒナウスユキソウは、もう足の置き場がないほど
道をふさいでいます。ハクサンチドリ、ミヤマキンバイ、イワカガミなどおなじみの
花々も見頃で、さすがは花の名山とつい足が止まってしまい、月山頂上までたっぷり
時間がかかってしまいました。
ただ強烈な紫外線だけは誤算でしたね。雨の支度にばかり気をとられて、日焼け止め
とサングラスを忘れてきたのです。
雪目にならないよう、もともと細い目を一そう細めて歩きますが、日焼けはもうどう
にもなりません。すこし雲が出てホットしたりする始末です。
最後の急坂を上りきると突然広々とした山頂(標高1984m)に出ました。
山開き2日目の初めての晴れ間でしたので、白装束も混じる善男善女がいっぱいです。
月山神社は、卯年がご縁年になるそうで、お参りしたら神主さんにお神酒を頂いて良
い気分になりました。お目当てのクロユリもちょうど見ごろでしたね。
お隣の鳥海山は残念ながら雲に隠れていましたが、もうここからは北側の羽黒口の8
合目バス停まで、ゆるやかな花の道を下るだけです。
ハクサンイチゲ クロユリ
行く手に広がる残雪とチシマザサと草原がどこまでも続く雄大な風景は、アスピー
デ火山の特徴です。
心地よい下りをのんびり楽しむつもりで歩き始めてみると、どうやら様子が違いまし
た。
雪の上はまだ良かったのですが、すぐに現れた不揃いでゴツゴツした岩畳の道は、一
つ踏み外したら大きな事故になりかねません。しかもそれがどこまでも続くのです。
ここはやはり山伏たちの古くからの修験道だったのですね。
注意深く岩のアタマを一つ一つ渡り歩くので、ただひたすら足元に集中する長い長い
2時間半でした。
山頂を後に羽黒口へ 8合目の弥陀ヶ原
ようやく辿り着いた8合目には、弥陀ヶ原の広大な高層湿原が広がって、ひときわ
爽やかな風が吹いていました。
緊張の続いた岩の道から開放されて、しばらくぶりに穏やかな木道に移ると、はじめ
て本日の俄か山伏の修行が、何とか無事に終わったことを実感した次第です。
ここ弥陀ヶ原は標高約1200m、有料道路の終点で駐車場やレストハウスに鶴岡から
のバスがあり、ニッコウキスゲやミズバショウなどの咲く池塘を巡る遊歩道が良く整
備されているので、一般の観光客が数多く訪れています。
出羽三山めぐりの定番ツアーコースなのです。皆さんも一度お出かけになってはいか
がでしょうか。
「了」