小石のふるさと「フォッサマグナ・ミュージアム」見学記 2012年8月15日 吉澤有介

   たまたま入手したラジューム含有の「姫川薬石」を眺めているうちに地球科学への興味が湧いて、そのふるさとを訪ねてみたくなりました。墓参で帰省したついでに、北陸道から糸魚川市と姫川に日帰りで出かけたので、そのあらましをお伝えしましょう。

 本州を東西に分ける大きな溝「フォッサマグナ」の地である糸魚川市は、2009年に日本ではじめて世界ジオパークに認定されました。日本列島が大陸から分かれて日本海が生まれた約2000万年前、フォッサマグナは深い海溝でしたが、急激な地殻変動による火山活動などで大地溝帯を形成したのです。ここには約5億年まえにできたヒスイをはじめさまざまな岩石が見られ、大地(ジオ)の宝庫とも呼ばれています。糸魚川市の地球博物館「フォッサマグナ・ミュージアム」には、巨大なヒスイの原石とともに、地球の誕生から生物の発生とその推移が、地質時代に沿って岩石や化石としてずらりと展示されていました。とくにその動植物の化石のコレクションは半端ではありません。実際に手で触れてみることでその時代の地球の空気を感じるような気分になるのが不思議でした。失礼ながらこのような地方によくもこれだけ集めたものと驚くばかりです。

 その説明も丁寧でわかりやすいので、本来は数日もかけてじっくりと勉強したいところでした。研究室も充実しており、地域の子供たちもよく見学にくるそうですから、その中から将来きっと大地質学者が出ることでしょう。東工大でも大岡山に地質展示館がありましたが、ここには到底及びません。

 欲を言えば、地元のアマチュア研究者などが、ボランテアとして直接現場で解説してくれたら、このミュージアムの価値は何倍にも増大するのにと残念に思いました。ただ説明文があればよいというものではないでしょう。これはぜひお願いしたいところです。

 フォッサマグナは、ラテン語で大きな溝という意味だそうです。命名者がナウマンゾウで有名なドイツ人地質学者のナウマン博士だったとはここではじめて知りました。博士は日本の地質学の近代化に大きく貢献していたのです。

 dscn3621.JPGdscn3620.JPG

       ヒスイの原石(2m大?)    こんな岩石もありました(1m大?)

 また本命のヒスイについては奇妙な物語がありました。わが国ではすでに約7000年前の縄文時代から、姫川のヒスイが各地の首長たちに愛された独自のヒスイ文化が栄えていました。これは世界の他の文明よりもはるか3000年も古い文化でした。ところがなぜか古墳時代の後期にそれが突然に姿を消してしまったのです。そのまま人々の記憶から完全に忘れ去られてしまいました。ダイヤに次いで硬いヒスイをどのようにして玉に加工したかも謎のままです。再発見されたのは何と1200年も後の昭和13年のことでした。全国に分布していたヒスイの原産地が、すべて姫川の上流の小滝川であったことが確認されたのです。

しかし学会に発表するまもなく戦争に突入したので、地元や一般に知られたのは戦後になってからのことでした。ヒスイの原石の話はごく最近のことだったのです。

 現在はこの貴重な原産地を守るために、あたり一帯が天然記念物に指定され、持ち出しは一切禁止されています。ただ姫川の河口の海岸は、数百種類の小石の浜で、ときにはヒスイも見つかるというので、私も図鑑を片手に探してみましたが、もとよりうまくゆくはずはありません。

     dscn3624.JPGdscn3627.JPG

           ヒスイの海岸           姫川の風景(奥が上流)

 それよりも低レベルの放射線を出す「姫川薬石」のほうが欲しくて、何とか石英斑岩のそれらしきものをいくつかゲットできました。我が家一同はそれで大満足の一日でしたが、放射能の測定はできないので真偽不明のまま、結局は駅前のヒスイ王国のショップで保証された薬石の小袋をお土産に購入した次第。これでは不漁の釣師の気分みたいなものです。そういえばこのショップでも、ミュージアムでも姫川薬石についての関心は薄いようでしたね。目立たないコーナーに小石が少しと、粉末を焼いた湯のみなどがありましたが、低レベルの放射線効果という感覚ではなく、古来から伝わった薬効をそのまま唱えているだけです。ネットでのブームは、まだごく一部のマニアの先走りなのかも知れません。

 この日の糸魚川海岸での小石拾いは、まことに楽しいものでした。小石には、スマホなどのヴァーチャルにない豊かな表情があります。それぞれに宇宙の気の遠くなるような来歴が刻まれているとすれば、いながらにして地球科学の壮大なロマンの一端に触れたような思いがしました。「了」

カテゴリー: メンバーの紀行文集 パーマリンク