今年は植物学者牧野富太郎博士の生誕150年に当たります。生地の高知県佐川町の記念館では、さまざまな行事が行われているそうです。牧野富太郎博士は、1862年(文久2年)に佐川町の酒造業の家に生まれました。私塾で漢学を学びながら植物研究に没頭し、小学校に入学しましたが、そのレベルに飽き足らず2年で中退しています。独学で研究を続けるうちに22歳で東京帝国大学理学部植物学教室に出入りを許され、32歳で助手、50歳で講師、65歳で理学博士となりました。没後に文化勲章を受けられましたが、その間の大きな業績は、皆さんよくご存知のとおりです。
牧野富太郎博士は東京大震災のあと、静かな環境と緑の自然を求めて、今の練馬区東大泉に移り住み、1957年(昭和32年)に94歳でこの地で亡くなりました。そのお住まいの跡が、練馬区立牧野庭園として一般公開(無料)されています。たまたま私の住まいの近くですので、四季を通じてよく訪れてきました。大泉学園駅南口から歩いて5分です。
今回は生誕150年とあって、またあらためて博士の業績を偲ぶことにしました。670坪の邸内は深い緑に包まれて静まりかえっています。門を入ると左手に博士の胸像があり、その周りを囲んでいるのが、あの有名なスエコザサでした。
邸内には博士が集めたさまざまな樹木が茂っています。この時期に花はありませんでしたが、とくに目に付いたのはムラサキシキブでした。きっとお好きだったのでしょう。奥に進むと、博士の書斎が当時のままに保存されています。裸電球のぶら下がった文字通りのあばら家で、よくぞこんなところであれだけの業績がと驚くばかりです。
隣の資料室には、博士の19歳のときに掲げた勉学の心得があり、老生にとって耳の痛いばかりの厳しい教えでしたが、80歳の書には「草を褥に木の根を枕、花に恋して50年」とあって、これならわかるとホッとしました。 生地の高知県には立派な記念館があるそうですが、この練馬の終焉の地こそ、博士の暖かい人柄が偲ばれように感じた次第です。開館は17時まで、火曜日が休館日です。近いところですので、皆さんもお出かけになってはみてはいかがでしょうか。「了」