(株)文芸春秋2018年6月刊 著者は、1959年生まれの生物学者、「動的平衡」などで皆さんおなじみでしょう。本書は「週刊文春」の科学コラムに連載した「福岡ハカセのバンタレイ バングロス」をまとめた楽しい本です。その文意は、万物は流れ、すべては偶然だというギリシャ語とのこと。私たちはついつい日ごとの雑事に悩み続けていますが、結局はなるようになる、世界は変わらないために変わってゆくという、危ういバランスの「動的平衡」に引き込まれてゆきました。
そのコラムのいくつかを拾ってみましょう。まず身近なサイエンスから始まります。ある産科医の物語ですが、これは円周率πの不思議に迫るものでした。今はコンピュータで、何億桁でも円周率を正確に計算できます。するとその値を暗唱する人々が現れて、ギネス記録を競うようになりました。友寄英哲は1987年に54歳で4万桁を、そして原口あきらは2006年に10万桁の世界記録を達成しました。語呂合わせで独自の物語を記憶したのです。
その一例があります。「産科医異国に向こう、産後厄なく産婦みやしろに虫さんざん闇に鳴くころにや弥生も末の七日あけむつのころ草の戸をくぐるに皆いつかはと小屋に送る、仲良くせしこの国去りなば医務用務に病む二親こそ悔やむにやれみよや、不意の惨事とこそ世にいうなれ—」と凄い物語が続いてゆきます。これが英語にもあるというから楽しい。
またニューヨークの公立学校6年生の理科の授業見学記では、「真水を入れたコップと塩水を入れたコップに、同じ大きさの氷を落とすと、どちらが早く溶けるか」を科学者のように考えるという課題がありました。先生は、まず「仮説」を立てて、その理由を挙げなさいと言います。生徒たちからいろいろな意見が出る。次に実験に移ります。さて実験条件をどうするか。どんな準備が必要になるか、手順は?、どのように測定するかを議論します。そして結果が出ました。さあ何故そうなったのでしょうか。次々に手があがります。「仮説→実験→考察」と進めてゆく素晴らしい授業で、忽ち小さな科学者たちが生まれていました。
福岡ハカセは、最も尊敬する人物として17世紀のオランダのレーヴィンフックを挙げています。彼は独自のやり方で顕微鏡をつくり、ミクロな小宇宙の扉を開きました。それは全くの素人、純粋のアマチュアの成し遂げた偉大な大発見でした。本人はただ物好きで、研究していただけでしたが、克明な記録を残し、その噂がロンドンに伝わったのです。オタクの極みでした。そういえば科学的な大発見の多くは、在野のアマチュアが成し遂げていました。岩宿遺跡で日本の旧石器時代を証明した相沢忠洋、いわき市の断層からフタバスズキリュウの化石を発見した鈴木直、イケヤ・セキ彗星に名を残した池谷薫と関勉などです。彼らはひたすら無償の愛を捧げました。アマとは、フランス語のアマン{愛}の意味だったのです。
ツチハンミョウの一生は、まさにギャンブルです。新緑の林で卵から孵った幼虫たちは4千匹の軍団ですが、うち成虫まで生き残るのは1~2匹です。匂いを頼りに近くの穴から出てくるコハナバチに取りついて空中に舞い上がり、やがて止まった花に飛び移り、その花粉に寄ってきたヒメハナバチのつくる花粉団子に潜り込み、その巣で孵化した幼虫を食べ、花粉団子で育って成虫へと数奇な運命に身を委ねます。表紙にその孤高の姿がありました。了
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