「桜」 勝木俊雄著 2018年2月10日 吉澤有介

岩波新書2015年2月刊  著者は樹木学者で、森林総合研究所多摩森林科学園の主任研究員です。JR中央線の高尾駅の北口から徒歩10分ほどのところにサクラ保存林があり、毎年春になると多くのひとが訪れます。著者はここで20年以上にわたり桜の研究を続けてきました。

桜は日本の春を象徴する花として、古くから愛され親しまれてきた特別な存在です。本書ではその歴史や文化に触れながら、樹木学の立場から「生き物としての桜」をテーマとして詳細に紹介しています。
日本では、本州から九州まで9種の桜が分布しており、早春を告げる身近な樹木でした。ヤマザクラなどの野生の花を愛でることは、ごく普通の感情だったでしょう。それが奈良時代に、唐の文化の影響を受けた宮廷は、桃を好むようになりました。桃の節句が生まれ、また多くの和歌にも詠まれています。しかし平安時代に入ると状況が変わりました。菅原道真が遣唐使をやめて日本独自の文化が発展し、御所の左近の梅も桜に代わって現代まで続いています。桜は宮廷文化の花見の主役となり、室町時代の花の御所、秀吉の醍醐の花見、江戸時代の桜の名所へと引き継がれました。そのほとんどはヤマザクラだったと思われます。
ところが幕末から明治にかけて「染井吉野」が現れて、花見の様式が一変してしまいました。「染井吉野」は、エドヒガンとオオシマザクラの種間雑種で、その花付きの良さと成長の速さで瞬く間に全国に広まりました。接ぎ木によって増殖されたので、すべての個体がクローンという大きな特徴があり、同じ形の花が一斉に咲いて一斉に散る、全国統一規格の代表品種となったのです。命名されたのは1900年(明治33年)ですが、その起源については諸説があり、一時は済州島説が有力でした。これは戦後の実験的研究で否定されましたが、出生地については確かな記録はなく、近年になって筑波大の岩崎文雄の、江戸の染井村の植木職人による人工交配との説が広まっています。しかしこれにもやや難点があって、まだ確定はしていません。たぶん偶発的に発見された自然交配なのでしょう。また「染井吉野」には寿命が短いという俗説がありますが、小石川植物園では明確な記録があって240歳の個体があり、弘前城でも135歳でなお美しく咲いています。手入れが良ければ長命なのです。
ところで桜は生物学でいえばバラ科ですが、狭義のサクラ類の学名はCerasusで、世界でおよそ100種、日本にはヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラ、オオヤマザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、エドヒガン、ミヤマザクラの9種しかありません。しかし種間雑種ができやすいため、古くから多くの栽培品種が加わって、サクラの分類は極めて複雑でした。八重や枝垂れ、それに地域による「淡墨桜」や「滝桜」などの固有名詞も文化遺産として重要で、39件の天然記念物があり、杉の48件に次いでいます。
サクラの栽培品種についての分類学研究では、東京帝大の小泉源一、三好学、牧野富太郎、米国のE・H・ウィルソンらが、また品種の保存には京都の佐野藤右衛門が大きな役割を果たしました。著者のサクラ保存林も、その伝統を継いで多彩な活動をしています。「了」

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