「働くアリに幸せを」長谷川英祐著 2017年7月23日 吉澤有介 

-存続と滅びの組織論―    講談社2013年9月刊
著者は、北海道大学大学院で動物生態学を専門とする進化生物学者です。社会性昆虫の研究による新書「働かないアリに意義がある」がベストセラーになりました。
ヒトという動物は一人では生きてゆけません。必ず複数の人間が集って社会をつくり、互いに何らかのコストを伴う協力を行って維持してゆこうとします。そこに社会学や経済学などの学問分野が生まれました。ヒトも生物界の一員です。生物界にはアリやハチ、さらには粘菌などの微生物まで、さまざまな社会が存在します。そういった生きものでも、「社会は複数の個体が相互作用する集団である」という意味で、ヒトの社会と同じなのです。生物学は科学として、そのようなヒトの社会にも共通する構造や力学を解明することができるのではないか。本書は、生物の社会からヒトの社会の本質に迫ろうとしています。
一人で生きている生き物もたくさんいます。一匹で暮らし、交尾のとき以外は仲間に会うこともなく、何をするにも一人です。それにはたいへんな強さが要ることでしょう。
一方トリや一部の哺乳類では、両親の元に残って、自分では繁殖せず、弟妹たちを育てるヘルパーになって、家族社会をつくることがあります。弱くて独り立ちできないのです。一人で生きたくても、よほどの強さがなければならない。それができない弱い個体が他の個体と協力して社会ができているのです。コハナバチは、花粉や蜜を食べ、子どもを育てます。土の中に坑道を掘ってそこにいくつかの巣部屋をつくるのですが、メスが1匹だけで育てる巣と、複数のメスで育てる巣があります。観察すると、メス一匹の巣で育つサナギは1割しかいないのに、複数のメスがいる巣では9割のサナギが育っていました。協力したほうが明らかに得でした。単メスでは、花粉を集めに出かけた留守にアリに襲われ、複メスでは誰かがいてアリを防いだためらしいのです。巣は複メスが大多数でした。
協力することが、一人のときより皆んなが得をします。集団同士の競争でも、協力の度合いが強いほど競争力が増し、存続できるので個体にも得になります。そこに群選択が働くのです。部族間の戦争で、仲間のために勇敢に戦う遺伝子は進化する可能性が高い。もしその個人が死んでも、「集団」が生存出来れば、血縁者に限らず集団にその遺伝子が広がることでしょう。命を賭けるとまで行かなくても、戦うという協力には必ずコストがかかります。そして協力すれば個体が得をするので、協力する社会が進化してゆくのです。
ところがここで自分だけはコストを払わずに、集団の利益だけをむさぼる裏切り者が出てきます。実際の生物でもアミメアリは、女王アリはいなくて、すべてのワーカーが産卵するアリですが、中に全く働かずに産卵だけする大柄の個体が現れます。やがてエサだけ食べて働かない者ばかりになり、コロニーは滅びてしまいます。サムライアリの女王は、クロヤマアリの巣に侵入してその女王を殺し、巣を乗っ取ります。生まれたサムライアリの幼虫は、クロヤマアリに育てられ、成虫になるとクロヤマアリを奴隷として働かせるのです。彼らはクロヤマアリの匂いを身につけて、同種に成りすましていました。
このような裏切り、騙しは、どの社会でも共通な現象で、その存在を許すと社会はバラバラになってしまいます。社会では、自分らが得になるよう協力しますが、その自分ら(我ら)の範囲が実は明確ではないのです。アリは匂いで仲間を見分けますが、人間は誰が仲間で、誰が裏切りか悩みます。裏切り者はコストがない分、社会の中では有利ですから、発生は必然的で防げません。生き者たちは、さまざまな賢い対応をしていました。
ミツバチでは、ときどきワーカーも産卵しますが、たいていはすぐに他のワーカーによって除かれます。女王が生んだ卵と匂いが違うらしい。互いに監視して「抜け駆け」する個体を許さないのです。生き物たちは大きなコストを払って群れを守っていました。
社会が存在すると、「個体の利益と集団の利益が必ずしも一致しない」という問題が出てきます。個体は個体の利益を最大化しようとし、社会は社会の利益を最大化しようとします。アリやハチにもその構造がありました。アリでは、ワーカーの産卵能力はほとんどありません。生物としては、子孫を残すことが最大の利益ですが、ワーカーは産卵という個体の利益の追求と、社会全体の利益に齟齬があって、その妥協の産物として、産卵しないワーカーになったとみられます。ワーカーが産卵すると働かなくなり、コロニーの生産性が極端に落ちてしまうのです。ここでワーカーは一方的に搾取されているわけではありません。母親である女王により多くの遺伝子を将来に伝えてもらっているからです。個体が所属する階層は、きれいに同心円構造をしていて、個体と集団の利益のバランスをとりながらコロニーを維持しているのです。その個体が幸せであるのかどうかは、やはり有利性で推測するしかありません。ミツバチでも、ストレスで「鬱」になるそうです。
さて、人間の社会ではどうでしょうか。企業は個々のメンバーに労働力というコストを払って協力してもらい、一人ではできない利益を上げて、それを給料として個人の利益に還元します。また企業自身も機能体として、その利益で商品開発や設備投資をして存続をはかるので、そこに個人の給料と企業の利益のトレードオフが生じます。かっての高度経済社会では、拡大する経済によって個人と組織の利益が一致するという幸せな時代でした。現代ではその環境は大きく変わっています。ヒトは「個人‐地域集団‐国家」と、「個人‐企業‐経済社会」という二つの階層に所属しています。ここで企業の境界が国家の境界を超える事態になってきました。高齢化社会への移行と、人口減少の問題もあります。しかし組織の効率ばかりを優先すると大きな間違いを起します。「社会は個人から構成され、社会の利益を上げるには個人の利益(幸せ)を増大させる駆動力が必要である」という大原則を忘れてはなりません。短期的な効率追求は長期的存続につながらないのです。
アリのコロニーでは、ある瞬間には7割くらいのワーカーが働いていません。長期的にも1~2割はゆったりと遊んでいました。またアリやハチでは、ワーカーの年齢によって仕事の内容が変わることが知られています。若いうちは巣の中で幼虫の世話をし、高齢になるとエサ集めや防衛など、巣の外のリスキーな仕事をして死んでゆくのです。
いずれも単純な判断しかできない個体が集っているのに、ずっと高度な状況に対応していました。その知能は一体どこから生まれるのでしょうか。また「ヒト」という生きものは、何をもって「人」なのか。やはり「人間以外の生きもの」の鏡が必要なのです。「了」

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