- 恐竜時代から続く生態系の物語 - 黒沢玲子訳、築地書館2016年11月刊
著者はアメリカの生物学者。鳥類と生態学の専門家です。森林性鳥類の研究で日本に滞在しているうちに、日本の森が北米東部の森林によく似ていることに気がつきました。ともにナラ類やカエデなどの広葉樹が優先する落葉樹林が広がっています。紅葉の美しさでは、日本の本州と北米のアパラチュア山脈が世界の双璧でしょう。トリの渡り行動も似ています。しかし種の多様性は大きく異なっていました。今から1500万年前頃には、ユーラシアと北米北部は氷河の前進と後退が繰り返されましたが、その前の北半球の大半は落葉樹林に覆われていました。それが著しい寒冷化で1000mもの厚みの氷河が形成されて、殆どの動植物が絶滅したのです。ヨーロッパの西部では地中海沿岸でごく僅かな森が生き延びただけでした。一方北米東部の森はメキシコ湾岸などの比較的温暖な地域に避難することができて、そこそこの多様性を保つことが出来ました。日本では大陸氷河に覆われることがなかったので、本来の多様な姿が残った上に、大陸から海で隔離されて、さらに種の分化が進んでいます。これは相互を比較する良い自然実験と見ることができるでしょう。
これらの「夏緑」落葉樹林の祖先を辿ると、白亜紀の中・後期まで遡ります。まだ暖かかった極地にまで広がっていた落葉樹林は、突然の小惑星の衝突で他の多くの生物とともに絶滅の危機に瀕しました。しかし衝突の塵に覆われた地球の寒冷化した環境に、落葉樹は常緑樹よりうまく適応できたのです。木の葉や花粉の化石がその推移を示していました。この落葉広葉樹の強さは、その後の氷河期後の回復でも確認されています。
人類の出現は、それまでの生態系に大きな変化をもたらしました。狩猟民の進出とともに大型哺乳類の多くが激減したのです。植生の密度が高まり火災が発生しました。野焼きも行われ、やがて農業文明が生まれて広大な耕作地が森林を分断しました。著者はヨーロッパや北米、東アジアのそれぞれの森林の伐採と利用の状況を詳細に展望しています。
とくに日本の集約農業の進展による人口の急増、宮殿寺院などの建設による常緑の極相林の乱伐と、伐採後の遷移途中の落葉樹を雑木林として利用したことに注目しています。戦国時代以降も大規模な伐採が続きましたが、落葉樹林は分断されながら生き延びてきました。17世紀ころには日本もドイツも木材不足が深刻になり、それぞれ独自に持続可能な林業が生まれました。植林や森林保護が進められたのです。しかし同時期の北米移民たちは、猛烈な勢いで乱伐を続け、農地を拡大してゆきました。農地が痩せると放棄し、そこに二次林が回復するという荒い動きの末に、ようやく国有林で森林保護することにして、自然景観を残す大規模国立公園につながったのです。森林の回復には、本来の原生林にある森林生態系に学ぶことが大切でした。世界各地に遺された原生林が見直されています。
著者はオオカミの消えた日本の森林が多様性を失い、生態系が崩壊していると憂いています。オオカミを畏敬していた日本人が、1730年の狂犬病侵入後、一転して害獣駆除の対象としたのは不幸なことでした。対応を急がなければなりません。気候変動も深刻ですが、落葉樹林の柔軟性が、生態系を維持し復元するカギとなることを期待しています。「了」
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