「鳥獣害」祖田修著 2016年12月22日 吉澤有介

- 動物たちとどう向きあうか -
イノシシ、シカ、サル、クマなどによる鳥獣害が、全国で深刻になっています。若者らが村を去り、里山が荒れてくると、多くの動物たちが平然と村や町に出て田畑を蹂躙し、時には人を襲ったりするようになりました。農業者はその大きな被害に困り果てています。
著者は、京都大学名誉教授で農業経済の専門家ですが、退官して村で田畑を耕しはじめて、即座にこの凄まじい鳥獣害に直面することになりました。本書は、その自らの体験を通じて動物と人間のあり方を考察し、本質的問題解決への道を探っています。
京都府南部の標高500mの里山で、著者は畑140坪、田は90坪の農業を始めましたが、まずやってきたのはシカでした。防御の網で囲ったのに、どこからか入り込んで白菜やキャベツ、稲の苗までもやられてしまいました。2年目も3年目もシカの害は増える一方です。
やがてイノシシも侵入し、その足跡はまるで運動場を走り回っているようでした。古老の話では、ここはかってマツタケがいくらでも採れたそうです。それがスギやヒノキの植林になり、その手入れも遅れて、動物たちが村に押し寄せるようになったのです。農家の多くはお茶の栽培に転向しましたが、動物たちとの戦いはまことに深刻なものでした。
もともと鳥獣害は、世界中で農業とともにありました。ところが最近欧米から新しい動きが出てきました。野生の動物にも感情があり、権利がある。デープ・エコロジーという主張です。地球上のすべての生命には固有の本来的価値がある。多様性は生活の質を高めるというのです。近代の科学技術社会の一面性を克服し、合理から直感へ、分析から総合へ、還元主義から全体論主義へ重心を移してゆく、人間中心主義を見直す動きです。
しかし古来東洋、とくに日本では人も動植物はみな同じという自然観がありました。殺生戒は、輪廻の思想からもきています。植物にさえ供養として感謝の意を表しました。この思想は、西洋でもピタゴラスがすでに述べていました。それがデカルトの機械論へ、さらにダーウィンの競争、自然淘汰の動態的自然観に移ったのです。一方今西錦司は棲み分けて共生する生物社会という静態的自然観を提唱しました。しかし両者には接点があります。そこに人間と動物たちとの関係を解くカギがありそうです。日本各地で、鳥獣害という現実への試みが始まりました。動物たちとの折り合いをつけるため、農業空間や林業空間にそれぞれの仕掛けを考案して、許容される形成均衡をはかろうとするものです。
本書では、その試行錯誤の事例が紹介されています。島根県瑞穂町(当時)は、一度成功した農業モデルを獣害で無残に破壊され、苦闘の末に害獣捕殺に補助金を出して、ようやく落ち着きを取り戻しました。各地域で動物たちの頭数管理、ジビエの利用で地域の活性化を目指しています。しかし「形成均衡」を求めるにしても、人間による自然管理はやはりおこがましい。人間自身の欲望制御が先なのです。持続可能社会の実現は、お互いに顔の見える地域社会から解決してゆきたい問題です。いま人類の英知が試されています。「了」

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