- 日本初の恐竜全身骨格発掘記 -
2003年4月、北海道むかわ町穂別で日本古生物学史上、最大級の発見がありました。すごい恐竜化石が地層の中から見つかったのです。それはこれまでのように一部分がバラバラの状態などではなく、全身骨格がつながったままの、すばらしい保存状態のものでした。この発見で北海道夕張山地南端の小さな町は、世界からも多くの注目を集めています。
本書は、その発見の経緯と8年後に恐竜であることの確認、さらに2年にもわたる発掘作業のすべてを、それぞれの関係者の視点で生き生きと綴っています。ここに登場した人たちは実に多彩でした。
発見者の堀田さんは、独学で化石を学んだもと郵便局員で、地元の山でアンモナイトの化石を探しているうちに、白亜紀末期の地層の露頭で偶然に7個の骨化石を発見しました。
これまで見た海の動物より骨密度が高い。両生類かも知れないと、町にある穂別博物館に持ち込みました。学芸員の古脊椎動物専門の桜井さんは、同僚のアンモナイト専門の西村さんとともに現場を確認しましたが、この辺りは函淵層群・蝦夷層群と呼ばれる有名なアンモナイトの聖地でしたから、化石はよく出る海棲のクビナガリュウ類とみて、そのまま保存していました。
もともと恐竜少年から出発して専門家になり、この博物館に入った2人でさえ、まさかこれが本物の恐竜とは考えられなかったのです。
ところが8年後、東大古生物学の佐藤さんが、学生指導のためにこの博物館を訪れて、保存してあった標本を見たところから状況は一変しました。彼女がカナダ時代に見た恐竜化石と似ている。慎重に北大にいる恐竜専門の小林さんを紹介したのです。
小林さんは福井県の生まれで、中学から化石に取り付かれ、横浜国大からアメリカに留学した恐竜研究の第一人者でした。
標本をひと目見てハドロサウルス類の恐竜と推定したのです。
直ちに発見者の堀田さんや博物館のメンバーと道有林にある現場を訪ね、全身骨格の存在を確信しました。しかしこの時点ではマスコミにはまだ極秘扱いでした。現場を荒らされたらたいへんだからです。
発掘計画は、「林道斜面の改修」という名目にしたので、樹木を伐採したら後で植林するという条件まで付いていました。準備だけで1年もかかっています。
2013年9月、第一回の発掘作業が始まりました。まず公道から2kmもある現場まで重機やトラックを入れる道路をつくります。樹木の伐採は250本にも及びました。発掘は小林さんの指揮で、北大の学生など多くの人たちが参加しました。
かって海底だった地層はほぼ垂直で、恐竜は地層に沿う逆立ち姿で埋もれています。作業は、その全体を重機で周囲の岩石ごと取り出すという大掛かりなものになりました。削岩機やツルハシ、ハンマーなどの手作業も入ります。その足場にしていた岩も大たい骨の化石とわかりました。また歯も多く出たので頭部があるはずです。恐竜は、全長8m、体重は約7トンと推定されました。
翌年の第2回の発掘は順調でした。最重要の頭骨も発見されて、全容がほぼ明らかになりました。化石を周囲の岩石から取り出すクリーニング作業は、今も着々と進んでいます。
公開された「むかわ町の恐竜」には、たいへんな価値がありました。日本産恐竜化石の最高級はもちろん、世界の宝物でもあります。町起こしの夢が拡がってきました。「了」