フッサールの現象学については、かねてから興味を持っていましたが、なかなか近づく機会がありませんでした。たまたま本書を見つけて、夢という誰でも身近に経験する話でしたから、これなら何とかついてゆけるかとかじってみたのです。そこではじめてその一端に触れることができました。ただしほんの生かじりですから、そこはどうぞご容赦ください。
現象学とは、著者によると「体験世界を、その内側に身を置いて、観察し、研究する学問」なのだそうです。つまり体験した当事者にしかできないことですが、現象学ではそれを、いつ、どこででも、誰にでも通用する「普遍妥当性」にすることを目指しています。
夢の現象学研究は、厳密に当事者研究の枠内にとどめるのでしたら、自分が見た夢に限るしかありません。ところが本書では、他人が見た夢を自分がその人に成り代わって見たことにして、その夢を分析してゆくのです。例として、夏目漱石の「夢十夜」を取り上げています。今から100年前のことですが、漱石が見たと称する夢を、著者が自分自身の夢として、当事者感覚を持って分析していました。著者もその時代に、もしかしたら夏目漱石として生まれた可能性もあったからと考えるのです。すなわち自分がその「可能世界」で見た夢として分析するので、これはやはり現象学による当事者研究でした。
人間科学としての現象学では、誰でも使える方法とデータを使って、同じ結論にならなければなりません。批評家の個性の出る文芸批評とは違うのです。しかしこの「夢十夜」の分析は、著者にとっても難物だったそうです。まずこの「夢十夜」はほんとうに夢だったのでしょうか。これには脳生理学者による本格的な研究がありました。やはり漱石が実際に見た夢の内容を大筋として、文学的な肉付けをした作品と見てよいらしいのです。
そこで著者は、まず10の事例をすべて比較表にしました。内容は興味深いものでしたが、ここでは省略しましょう。結論から言えば漱石は、夢を夢らしくする幻想的な描き方を避けて、「写実的な書き方」を選んでいました。「夢世界」という「現実世界」と対等な、もう一つの世界に確かに生きていた実感が、リアリテーを伝えていたのです。著者は現象学で「夢十夜」を分析することで、漱石の見た夢の原テキストに迫るという試みでした。
夢世界の原理とはどのようなものでしょうか。現実の体験世界では、現在、過去、未来という時間的方向や空間の認識が厳然として存在しますが、「夢世界」では、そこが変容していました。眠る前の現実世界では、明日は何が起きるかを予期する「仮定法未来」があります。ところが夢の世界では、すべてが「現在形」として起こっていました。つまりすべてを現在のこととして「知覚」しているのです。驚くべき構造上の違いがありました。
著者は十数年前から、みずからの夢体験を「夢日記・思索幻想夢日記」としてブログに載せています。何しろ著者の夢記録は学生時代からで、すでに千例にも達しているそうです。夢を見さえすれば研究ができます。本書では、学生たちから集めた夢も、たくさん取り上げました。著者が当事者として分析することで、現象学入門になっているのです。本書では、それを「誰でもわかる現象学」として提供しています。刺激的な一書でした。「了」
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