— 農耕文明が開け放った災いの箱 —
過去5万年の人類史での最大の革命は、インターネットの登場でもなく、産業革命の進行でもなく、現代の長距離移動手段の発達でもありません。世界のあちこちに住む少数の人たちが、自然にとれる食物に頼ることから、自分たちの食料を育てはじめたときでした。
本書は、人類が狩猟採集民から農耕民へと移行した要因を探り、それがどのように複雑な世界を生み出したかという壮大な人類史を、考古学と遺伝子工学で展望しています。
わたしたちは、遺跡やヒトゲノムを手がかりに、大昔からの人口統計を見積もることができます。ヒトという種は、およそ20万年前に誕生しましたが、7万年あまり前に、トバ火山の噴火という大事件に遭遇しました。僅か2千人ほどまでに急減したと推定されます。生き延びたひとたちは、小さなグループごとに語り合い、新しいアイデアを検証し改良を重ねて、急速に文化を変容させてゆきました。脳の大きさからみて、集団の規模は150人程度であったとみられます。このサイズは現代でも最適なのです。危機が進化を促進させて人口は急速に回復し、やがてユーラシア、さらにその先へと拡散してゆきました。
一万年前には、気候にも恵まれ、狩猟採集は大型動物を絶滅まで追い込んで、もはや現実的でないレベルまで人口密度が高まっていました。ここで人々は自然とのかかわり方をあえて変える決断をし、定住型の農耕を編み出したのです。はじめは山岳地帯で、複雑な地形による多様な環境に育った食用作物を見つけて採集したのでしょう。それが最終氷期の終わりに起きた気候の急変で、山地での食料供給が危うくなり、急遽野生の穀物を平地で栽培することにしたのです。幸いコムギやイネ、トウモロコシは遺伝子が柔軟で有利だったので、世界各地でほぼ同時に農耕が始まりました。人口が爆発的に急増します。
ところがそれが思わぬ変化を招いたのです。それまでの狩猟採集時代に無かった階級社会が生まれ、政治が、そして戦争が始まり、ヒトは生物としての進化の路線を外れてゆきました。原初はアミニズムだった宗教も一神教に移行し、母系家族は戦いに備えて父系に変わり、都市化が進みました。ここで諸々の未知の災いが一挙に解き放たれたのです。
ヒトの身体にも影響しました。死因をみると、それまでの外傷から、動物との共生による感染症、さらに現代の慢性病へと移行しています。古代人には無かった虫歯が農耕とともに広がり、社会が複雑化すると心の病が、またさまざまな障害が生まれてきました。近年遺伝子技術が開発されていますが、生物学の範疇を超えてどこへ向かうのでしょうか。
人々はより多くのモノを求めて強欲に走り、化石燃料の消費を加速させ、地球環境問題を引き起こしています。「余剰」のなかった狩猟採集からの文化の移行で忘れられた、人類の「道徳的指針」の見直しを議論しなければなりません。しかしそこに極端な原理主義が生まれる下地がありました。本来は独自の文化に戻ろうとする「分離主義」でしょう。グローバル化に対する、小さな共同体への欲求は自然の流れです。過去に学んで「多くを望まない」暮らしこそが、人類の未来に希望をつなぐ確かな道ではないでしょうか。「了」
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