「イタヤカエデはなぜ自ら幹を枯らすのか」 渡辺一夫著 築地書館

樹木の個性と生き残り戦略
 著者は東京農工大大学院卒の農学博士で、森林インストラクターとして活動してい
ます。
主に関東近郊の山を歩き、山や川をつくる大地の力やと樹木のしたたかな生き方

に興味を持ってきました。著書に「森林観察ガイド」(築地書館)などがあります。
その森林エキスパートが、日本を代表する樹木36種についてそれぞれの個性と多様な
生き残り戦略を、樹木の立場からみて解説した異色の本格的ガイドです。
一読して日ごろ親しんでいた身近な樹木たちが、こんな苦労をしてこんなに素晴らし
い戦略を編み出したのかと驚くばかりでした。森林の成り立ちを考える参考書として
お勧めします。
樹木も人間と同じように、一生のうちにいろいろなことがあります。台風も来れば虫
にも食われ、なおかつライバルとの厳しい競争を勝ち抜いて子孫を残してゆかなけれ
ばなりませんが、それぞれの生き方は実に個性的なのです。その二三の例を挙げてみ
ましょう。


「アラカシ」は、たとえ急峻な崖であってもしがみつくように根を張って育つ、生命
力の強い樹木です。種子のドングリは毎年たくさんできて、縄文人も好んで食糧にし
ていました。67年に佐賀県の坂の下遺跡から出土したドングリは何と4000年の眠りか
ら覚めて、いま佐賀県立博物館の庭ですくすくと育っているそうです。アラカシは最
終氷期から暖かくなってきたときに分布を拡大してきた常葉樹ですが、縄文人たちが
焼畑などでその生育を妨げてきたという受難の歴史があります。そこで乾燥に強いア
ラカシは急な崖や石灰岩地などの、ほかの樹木の来ない場所に住みついてきました。
そこは人の手も入り難かった利点もあったのです。いまは里山の落葉樹が放置されて
いるので、これまで苦労してじっと待っていたアラカシに、分布拡大の絶好のチャン
スがきているそうです。

「ムクノキ」はどこにでもある落葉樹ですが、暖かい場所が好きです。しかしそこは
常緑樹が優勢なエリアなのです。日陰に弱いムクノキがそこで生きてゆくために、撹
乱を利用する戦略をとりました。森の中ではなく、河原のような裸地を狙って先駆す
るのです。そこは数十年に一度の洪水が来ますが、そのあとはしばらく安泰です。鳥
が運んだ種子はそこで素早く発芽して生長します。やがてタブノキなどの常緑樹が侵
入してきますが、またその頃に大洪水がきて新しい裸地ができるので、ムクノキにま
たチャンスが来るというわけです。落葉樹は一年のうち半分しか光合成ができないの
で、短期間に高い生産性を挙げる必要があります。そのため耐久性や虫よけまで犠牲
にして、葉を薄くしてコストを削っています。したがって日陰に弱く、暗い常緑樹の
森の中ではなかなか辛いのです。しかし森のなかでも少数ながら安定して生きている
こともあります。鳥に運ばれたムクノキの種子は、暗い森のなかの土中で休眠し、や
がて頭上の樹木が倒れて明るいギャップができると、すかさず生長してその場所を占
有するのです。しかも長寿ですから安定して子孫を増やすことができます。ムクノキ
の多角的戦略は実に見事といってよいでしょう。

 「イタヤカエデ」はあまり大きくならずに亜高木として生きています。ブナやミズナ
ラの日陰になるので、水平に枝を出してすべての葉で光を受けます。その葉も一斉に
つけてできるだけ長持ちさせ、弱い光を利用して光合成を行うのです。葉の構造もム
ダを省くために薄くし、製造コストと維持コストを低く抑えています。日陰に生きる
イタヤカエデにとって、コスト削減は生命線なのです。

林内で発芽しても、そこがあまりにも暗いときにはいつまでも大きくなれません。と
きには十年も稚樹のままということもあります。さらに光合成のエネルギーが枝葉を
維持するエネルギーに足りない時、つまり収支が赤字になったとき、イタヤカエデは
ここで大胆なリストラを実行します。思い切って地上の部分をいったん枯らしてしま
うのです。根だけは生きていますから、機会が来れば身軽になってまた新しく発芽し
て生きるのだそうです。またイタヤカエデは春先のほかの落葉樹が葉を出さないうち
に、一斉に葉を広げて春先の二カ月だけで集中して光合成を行います。とにかく必死
に知恵を働かせているのですね。
そのほかトチノキのように、ハナバチやリスとうまく付き合って子孫を増やしたり、
ブナのように深い雪を味方につけて北国で一人勝ちしていること、針葉樹についても
それぞれの個性があるなど、興味の尽きない豊富な話題をつぎつぎに提供してくれま
す。ぜひ一度ご覧になってみてください。
         記  吉澤 有介

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