これは比較宗教学の島田裕己と、世界屈指のイスラーム学者で自らもイスラーム教徒(ムスリム)である中田考の両氏による対談で、イスラームの世界を外側から、また内側から存分に語った絶好の入門書です。歴史的に見て、日本人にとってのイスラームは、はるかに遠いものでした。日本人のムスリムはせいぜい1万人程度で、在住の外国人ムスリムをあわせても全人口の0,1%で、世界でももっとも少ない国です。しかし世界では、イスラームの重要性は日増しに高まってきました。現在の世界のムスリムは16億人で、なお増え続けています。最も多いのはインドネシアで、アジアやアフリカの諸国が続き、アラブではエジプトがようやく6番目になります。またヨーロッパでは、キリスト教が大幅に衰退の気配を見せており、イスラームの移民が増加して「ヨーロッパのイスラーム化」が本気で心配されています。イスラームはまさに世界宗教として存在感を高めているのです。
中田氏によれば、イスラームの神は、ユダヤ教やキリスト教と同じ唯一神で、モーゼもイエスもイスラームの預言者の一人でした。これらの預言者たちは、当時の民衆に合わせて神の法を自分流に説いていたので、その福音書はすべて信者たちが後で編集して創り上げたものなのです。それに対してムハンマド(570?~632)は最後の預言者でした。610年ころ、山に篭って瞑想していたときに、突然神から直接にメッセージを受け取ったのです。それから22年間にわたって厳しく伝えられた教えを、そのまま書き留めたのがクルアーンでした。聖書や仏典のように、後で編集されたものではないのが大きな違いです。
イスラーム法についても、クルアーン自体には細かい規定がなく、ムハンマドがアッラーに服従して自らを律した言行をまとめたハデイースが元になっています。その規範は、義務、推奨、許可、忌避、禁止ですが、かなりの幅があります。義務と禁止以外はわりと自由なのです。入信するにも特別な儀式はありません。神と個人が結ばれるだけです。
信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼を守れば天国に行けることが約束されます。その線引きを決めるのは法学者ですが、ムハンマドの没後、後継を巡ってスンナ派とシーア派が対立しました。スンナ派は代々カリフ(世俗的な導師)が指導し、シーア派は預言者の子孫だけに従うとして権威を尊び、政治権力と結ぶようになりました。はじめはスンナ派が8割と圧倒的に多数でした。ところが最近はイランなどのシーア派が急伸しています。これはスンナ派の世界がまとまっていないためですが、元来イスラームには組織という考え方がないのです。そこに上下の関係はありません。いま問題のISにも階級がないようです。
イスラーム法では利子を禁止しています。しかし儲けてもよい。アラブは商業民族でした。現世では大いに儲けて豊かに暮らし、貧しい人に気前良く施す。ケチを何よりも恥じます。借金も返せないときはそれまでのこと。困っているなら喜捨としてあげるのです。
何かと誤解の多いイスラームですが、合理的であり、明確な倫理があります。中田氏は、理想の世界として本来のカリフ制に立ち戻り、国家のように人間が治めるのではなく、神の「法」が治めるグローバルな「イスラームの家」を目指すことを願っていました。「了」
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