— 増田レポートと人口減少社会の正体 —
日本創成会議が2014年5月に発表した(通称)増田リポートは、「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する可能性がある」として大きな波紋を呼びました。その主旨は、「放っておけばそうなるので、早く防ぎましょう」であったはずでしたが、メデアなどで取り上げられているうちに、それがあたかも自治体消滅、地方消滅が避けることのできない規定路線であるように扱われるようになりました。その特集タイトルに「すべての町は救えない」とさえ記されたのです。社会全体でもそんな空気が次第に生まれてゆきました。
それもそのはず、増田レポートの論理そのものが、人口減少対策として、地方を「選択と集中」に導くことを中心理念としていました。そこに危うい論理の罠があったのです。
「選択と集中」は確かに一つの方策でしょう。しかしそれは「地方切捨て」、「農家切捨て」「弱者切捨て」に帰結します。「選択」はあくまでも選択する側からの論理です。選択されない立場にいたら、排除され、滅びてゆくしかないのです。政府や政治家が、地域を存続させるより、早く死に追いやり、淘汰したらよいという方向に走りかねない、極めて危険な思想とみなければなりません。著者はそれを強く警告しています。
私たちにはもっと違った選択肢があるはずです。危機感に煽られて「これしかない」と思い込んではいけません。ことの発端は人口減少でした。しかしこれも国家と経済成長を最優先して考えるのか、あるいは逆に国力、経済力の現実にあわせるかによって選択が異なります。守るべきものは、国家・経済なのか、それとも家族・暮らしなのか。
現代のグローバル経済戦争では、勝たなければ暮らしも何も無いという脅しは強烈です。しかしいま起きている人口減少問題は、まさにこの国際経済戦争への経済至上主義、国家至上主義への国民総動員の結果ではないでしょうか。大都市では、結婚しても給料は上がらず、家庭を犠牲にする共稼ぎは必須、将来の不安で子育てどころではありません。もしも経済力で出生率が決まるなら、東京が高くなっていなければならないのに、一般に農村・地方のほうが高い。人口増のためには、大都市から中核都市へ、さらに農村漁村へと移動するのが本来の姿であり、理想なのです。社会は雇用と経済だけで成り立っているのではありません。しかしいまの国民の意識は「仕事は自分でつくる」から、「雇用は国がつくってくれる」という依存の罠に捉われています。それに対して農村漁村では、経済規模が小さいのに自己完結しているので、少々の経済変動でも自立し、安定しているのです。
著者は、ここで「選択と集中」に対し、「多様性の共生」を対抗理念に掲げました。選択よりは「多様性」、集中よりはさらに積極的な「共生」を目指すのです。これは「依存」から「自立」への転換を基調にしています。受身でない「参加と共同」なのです。
そもそも自治は小さな地域のみにあります。これは欧州の一部では常識で、その人数は1万人を超えてはならないともいいます。現実に戸数の少ない集落ほど自律的です。
本書では、さまざまな視点から「ふるさと」の再生を論じ、「財が財を生む」論理を、「生きているもの」の論理へ引き戻して、新しい社会を構築する道を探っています。「了」
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