声は、人間が持つ極めて強力な道具で、意志の疎通において何よりも重要な役割を果たしています。にも関わらず驚くほど顧みられていません。言語やボデイランゲージについては詳しく調べられ、その重要性が高く評価されているのに、声については殆ど取り上げられることはないのです。本書では、文字や画像だけが文化ではないこと、声こそが人間らしさの核心であることを、生物学、心理学、社会学、文化人類学、ジェンダー学など、さまざまな切り口から検証しています。声には言葉以外の表現を伝える力があるのです。
近年の電子メールやインターネットの普及で、文字情報だけの情報伝達の欠陥が明らかになってきました。思わぬことで人を傷つけ、悲しい事件にまで発展したりします。声さえ使っていれば、自分の感情や微妙なニュアンスを伝えることが出来たことでしょう。
声は実にいろいろな情報を伝えてくれます。誰かのことを本当に知りたければ、その人が話すのを聞くことです。本心や感情が無意識のうちに表れてしまうからなのです。哲学者のカントによれば、生まれると同時に声を出す生物は人間だけだといいます。産声とともに赤ん坊は人間の世界に受け入れられるのです。新生児の声道はまだチンパンジーに似ていますが、やがて喉頭の位置が下がってゆき、次第に複雑な声を操れるようになります。その過程はヒトの祖先の進化を再現しているという、大きな論争にまで発展しました。
人間の脳機能との関連でも、言語は左脳で感情は右脳とは言えず、声に含まれる情報は、左右の共同作業で初めて理解されることが、脳画像の解析からも立証されています。
声には性による違いがあります。一般に男声の平均的なピッチは約120ヘルツ、女性は約225ヘルツですが、なぜか日本人女性の声は世界で一番高く、450ヘルツもあるそうです。体格のせいか文化の違いかはわかりませんが、NHKなどでは女性アナに声をもっと低くと教育したそうです。しかし過去50年のあいだに女性の声は大幅に低くなってきました。男声が女性化する傾向もあるようです。それぞれの役割や力関係が変化しているせいでしょう。
俳優たちはもちろんですが、政治家たちも声の技術を駆使しています。1933年に始まったF・ルーズベルトのラジオによる炉辺談話はあまりにも有名です。ヒットラーは機関銃のように攻撃的な228ヘルツという高い声で、自分自身と国民を熱狂へと駆り立てました。それに対してチャーチルの声は低く、温かみがあってよく響きました。ゆっくりと、時には劇的に間をはさんで、頑とした抵抗の意志を伝えたのです。レーガンは俳優として磨いた声の技術をテレビに生かして、コミュニケーションの達人と呼ばれました。サッチャーはずいぶん苦労したようです。ローレンス・オリヴイエはじめ多くの人の助言で、60ヘルツも声を低くし、ペースをゆっくりにしました。ブレアは声を操作しすぎて、かえって評価を落とした時期があります。政治家の資質のうちで声の重要性は格別なのです。
現代のテクノロジーの進歩で、声はもはや文化の中心ではなく、文字や画像にとって代わったという説がありますが、実態は全くその逆で、声は生活のあらゆる場面で活躍しています。声の真価は鋭い感性で深く聴くことにあるという著者の主張は新鮮でした。「了」
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