著者はおなじみの東京農業大学名誉教授、発酵学から世界の食文化へと幅広い活動を続け、多数の著書があります。本書は、著者自身と思われる俺という食の専門家が、福島県矢祭町の八溝山中で暮らす猟師の義やんを訪ねて、その生き様をつぶさに見聞したルポとして語られています。義やんとの出会いは、東京渋谷の裏通りにあった小さな居酒屋で、雇われ店主の彼と意気投合したのが初めでした。猟師だった義やんの話す八溝・阿武隈ごっちゃ語の、途方もない面白い話に引きこまれて常連になっていたのです。その後、義やんは船の仕事に移って世界を巡り、食文化を求めて訪れた俺とギリシャで偶然再会するという不思議な縁もありました。その義やんが、故郷の八溝の猟師に戻ったというのです。
俺は、実家の酒蔵の粕取り焼酎とクサヤを手土産に、八溝山中奥深くにある義やんの一軒家を探し当てました。僅かの平地にある20坪ほどの茅葺き板張りの小屋が、義やんと猟犬クマの住まいです。水は山から引いていましたが電気はなく、昔ながらのランプの暮らしです。小屋の回りには大量の薪が積まれ、囲炉裏には自在カギが吊るされていました。
大好物のお土産に狂喜した義やんと早速の酒宴となりましたが、そこに出された猟師のご馳走は素晴らしいものでした。イワナにヤマメ、赤蛙、マムシ、ツグミ、ムクドリ、さらに圧巻はイノシシの燻製肉です。半年前に獲ったものですが、ぶつ切りにした肉に塩をまぶし、藁できつく縛って囲炉裏の上に吊るしておくと、3ヶ月ほどで上出来の燻製になり、十分に保存が効くというのです。そのまま焼いても、大なべに野菜と味噌でごった煮にしても、その味は実に濃厚でこの上ない珍味になりました。
義やんの話では、この3年間で猪を37頭、出稼ぎ前にも18頭の計55頭を獲っていますが、仕留めるたびに猪に詫びて、皮も肉も内臓はもちろんのこと、骨まで潰してクマにやるなどして全部利用させてもらっているそうです。かって京都の寺で修行したので、獲った猪にはみな戒名をつけて卒塔婆を立てていました。野生への暖かい心配りなのです。
俺はすっかり嬉しくなって、4泊5日も逗留することになりました。渓流でイワナを釣り、罠にかかったウサギを捌き、野草を取り、薬草を教わり、麓の田んぼでドジョウをつかまえ、さらに蜂の子などの虫料理まで味わいました。どれも義やんが猟師の父から教わった、先祖伝来の山住みの知恵だったのです。さらに非常食としての紙餅がありました。楮や桑、楢、ヒバなどの皮を臼で搗いて砕き、大なべで一晩中煮込んでどろどろになったところで、よく晒し、水を切って味噌と葛粉を加えて団子に丸めます。それを天日で干すと出来上がり、味噌汁の実にするのです。これが山暮らしでは食当たりの妙薬にもなりました。
保存食といえば、義やんは近くの山の崖に大きな横穴を掘り、野菜や食糧を保管して、濁酒や酢までつくっていました。ここは猪撃ち仲間のための猟銃弾薬置き場でもあります。町の猟師仲間との連携も緊密で、八溝の長い伝統が生きていたのです。
義やんは、この八溝の空気、山、川、花、生き物が全部好きだといい、賢いクマとの山暮らしは幸せ一杯でした。別れの銃声に送られながら、俺は山を下ってゆきました。「了」
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