「常識哲学」なだいなだ著 2015年7月30日 吉澤有介

– 最後のメッセージ –
著者は、精神科医で作家としても活動していましたが、2013年にすい臓がんのため84歳で亡くなりました。これは83歳のときに精神科医の集りで講演した原稿による絶筆です。
若いころ精神科医として久里浜のアルコール依存専門病院に勤務したことで、哲学について深く考えることになりました。当時、アルコール依存は治らないとされていたのです。教授の命令でその治らない病気と取り組んで、自分は何をなすべきか、何を望むか、何を知ることができるか、人間とはつまるところ何か、そう考えたとき、それはカントの命題そのものでした。さらに「定義はどうあれ、有用性だけで判断せよ」という衝撃的な言葉に出会いました。そうすると、これまでの偉い先生たちの診断の定義は全く役に立っていない。患者を「意志薄弱」のダメ人間と決め付けて、社会的に差別しているだけでした。
そこで著者は診断しないことにしたのです。自分の常識で判断することにしました。断酒が続かないのは、意志が弱いのではない。ただ難しいからだ。とすれば挑戦する気持ちを起こさせる。何度でも挑戦したらよいと考えました。患者は、それまでの社会の常識で診断され、専門医につれてこられます。その常識を変えなければならない。
精神病院では、これまで患者を絶対に逃げないように少人数ずつカギをかけた病棟に閉じ込め、飲みたくても飲めない状態にして、ムリにでも酒を切らせるのが一般的でした。ここで著者は、閉鎖方式でなく、40人一緒の開放病棟にしたのです。逃げたければ逃げても良い。残った人は自由意志でいるのだから、こちらの話を聞いてくれるだろう。院長も職員もみな反対でしたが、強引に押し切ったのです。ところが意外な結果になりました。翌日も次の日も誰も逃げませんでした。10日経っても逃げないのでかえって不安になり、電車賃がないためかと、おカネを渡してみても逃げない。誰も酒盛りしていない。すべての危惧は不要でした。私たちはアルコール依存の人たちを全然知らなかったのです。3ヵ月後に退院してもらいました。家族は大喜びです。しかし何時また逆戻りするかも知れません。そのときは「よくそこまで頑張った。また挑戦して記録を伸ばしましょう」と励ますつもりでした。しかしこれも杞憂で、退院した人たちはお互いに連絡を取り合い、いつのまにか同窓会が出来ていました。医療よりも本当の仲間が必要だったのです。アインシュタインは「常識とは、人間が18歳までに作り上げた偏見のコレクション」と定義しました。つまり常識と偏見は同じだと。これでまた気持がずいぶん楽になりました。
常識という言葉は、英語のコモン・センスの訳語ですが、明治に入って瞬く間に日本中に広まりました。きっと急速な洋式化のせいでしょう。ところが本家の英国では、「理性」に押されて消えかけていました。しかしT・ペインのアメリカ独立運動に、大きな役割を果たしています。著者はここから常識についてさらに深く考察します。コモン・センスは、フランス語のボン・サンスとも違う。常識は進化します。今の非常識が未来の常識になる。また同時に排他的でもあります。変化し続ける偏見といっても良いでしょう。そこで常識とは何かを考える、常識哲学が必要になるのです。著者の最後の重い言葉でした。「了」

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