「ヴェネツイアと水」ピエロ・ベヴイラックワ著 2015年2月28日 吉澤有介

― 環境と人間の歴史 -
華麗な水上都市ヴェネツイアは、その特異な立地と豊かな文化によって、世界の人々を魅了してきました。そのヴェネツイアが現在、海面上昇や地盤沈下などによって水没の脅威にさらされています。1年に50回にも及ぶ高潮の被害も深刻です。「ヴェネツイアを救え」という合言葉のもとに、さまざまな対策が検討され実行されていますが、なお楽観はできない状況にあります。
ところが本書によると、ヴェネツイアが共和国として独立を維持していた18世紀までは、全く逆の事態であったといいます。海洋貿易によって繁栄していた一番の基礎となっていたラグーナの水域が、北イタリア本土から流入する河川からの土砂によって陸地化し、港が使用できなくなる危機に悩まされていたのです。共和国にとってラグーナの水域維持管理と環境保全は、都市国家の存続のための至上の命題になっていました。
ラグーナは本土から流れ込む河川と、アドリア海から押し寄せる波の力とのバランスから生まれた自然の産物です。共和国では、古くから水監理の専門職を置き、大きな権限を与えて防波堤の維持や、砂州の保全、内海の水質の監視に努めてきました。そこで得られた市民共通の見解は、「偉大なラグーナが偉大な港をつくる」というものでした。
ところがラグーナには大きな脅威がありました。それは本土の河川からの土砂の流入です。外海の時化のような一時的な猛威とは違って、ゆっくりと確実に堆積して沼沢地化し、陸地化が進行してゆきました。その大きな要因が、実は本土の森林の乱伐にあったのです。古くからヴェネツイアは、莫大な木材を消費していました。艦隊建造や住宅、家具などの需要に加えて燃料消費があり、さらに重要な外海に対する防波堤の樫の柵がありました。自給のできない水上都市としては、木材の確保は行政の大きな課題で、厳しい規制を行うとともに、18世紀に入ると本土領の森林の再生に本格的に取り組んで、伐採と植林、定期的な間伐、苗木の育成などが実行されてゆきました。共和国の森林政策は、ラグーナの保全を含めた国土領域全体の保護をめざしていたのです。「ラグーナの尊重」という合意が経済活動に優先して、全市民の行動と倫理の規範になってゆきました。
ラグーナの浚渫も強力に推進され、運河の整備が行われました。しかしそれでも土砂の流入に追いつけません。ここで共和国は、根本的対策として、ラグーナに注いでいる大河の流路を変えて、直接外海に流れるようにしました。さらに防波堤の木柵をコンクリートにして木材の消費を抑え、外海の猛威に備えて際どいバランスを維持してきたのです。
しかし1797年、ヴェネツイア共和国はフランスの支配下に入って消滅しました。都市国家としての自立的立場も失われ、陸地の磁力に引きこまれてゆきました。ラグーナ維持が至上目的でなくなると、アドリア海は報復を開始して高潮や時化が襲ってきました。イタリアの一部となった近代では、陸地の工業化は進んで、環境破壊との厳しい戦いに曝されています。ヴェネツイアは世界的な観光地にはなったものの、ラグーナに寄せたかっての環境意識は戻らず、「水」という大きな自然の脅威を受け続けているのです。「了」

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