― ヒトは森羅万象をどう体系化するか ―
これはなかなか手ごわい本でした。本書の中心テーマは、「進化」という言葉の持つ意味を探り出し、その歴史を掘り下げることにあります。
進化というプロセスを担う実体といえば、私たちはすぐに「生物」を思い浮かべます。現代進化生物学の祖であるチャールズ・ダーウィンの生誕は、今から200年ほど前の1807年のことでした。ダーウィンは、自然淘汰理論という、進化がどのように進行したかについてのメカニズムの仮説を手に、生物界全体の変遷と多様化を説明しようとして、まず科学者たちの世界に衝撃を与えました。当時のイギリスには、博物学(ナチュラルヒストリー)の長い伝統があり、そこには自然神学の流れをくむ自然観、生物観がありましたが、何よりも博物学者だったダーウィンがそれを一挙に破壊してしまったのです。博物学の伝統は、ここから別の形を辿ることになりました。それは美的な基準を伴う科学でした。
現代の自然科学には、美的センスが経験科学に入り込む余地は全くありませんが、当時のヨーロッパ、とくにドイツには「ロマン主義科学」の大きな潮流があったのです。その大陸的な自然観と体系学の長い伝統のもとにあった生物学者ヘッケルは、ドイツ語に翻訳されたばかりの「種の起源」を読んで大きな感銘を受けました。ダーウィン進化論を自分なりに吸収したヘッケルは、その天賦の画才によって、「系統樹」という図形言語を生み出したのです。これは一般読者に強い印象を与えました。ヘッケル自身の仮説「個体発生は系統発生を繰り返す」なども含めた「自然創造史」は、一躍ベストセラーになりました。
これはまさに歴史的事件でした。そして広い意味での対象物の「進化」が、「系譜」という形式で表現されるとき、私たちはその画像が持つ意味(科学的、社会的、文化的、宗教的、政治的などなど)を的確に読み取る必要に迫られることになったのです。
著者は、「進化思考」という言葉を、生き物に代表される対象物の「変化と由来」にかかわる思考であると同時に、その根底に「分類思考」と「系統樹思考」を絡めて使っています。進化思考は過程(プロセス)に関わる思考です。しかし何が進化というプロセスを担っているかを考えるとき、その対象(オブジェクト)をいかに認識するかが重要でしょう。
本書では、対象を認識するための体系学は、分類思考に基づく分類学と、系統樹思考に基づく系統学からなるという立場を貫いています。進化思考は、歴史的により古いこの体系的思考の延長上にあるというのです。
現代の体系学と進化学は、DNAの塩基配列情報などの分子情報を踏まえた高速な計算能力をもつコンピューターと、全世界的なインターネット資源の利用を前提とするサイエンスとして、新たな形をなしつつあります。そこには対象を生物に限らない、「普遍的な系統学」があるはずなのです。しかし進化思考はときに危険な万能酸にもなります。一方、認知心理学が示すように、人間には生得的に外界の多様性を認識しようとする性向があります。万物「体系化」の精神は、際限なく人間社会の中に続いてゆくことでしょう。「了」