「流氷」(白いオホーツクからの伝言) 菊地慶一著 2014年1月5日 吉澤有介                                          

  著者は旭川生まれで1969年から網走に在住して流氷の観察を続け、流氷関係の著書を多数上梓している。本書はその一つだが、文章もさりながら写真が断然素晴らしい。とくに蓮葉氷と呼ぶ、海岸近くで生まれる直径50センチから2mほどの薄い白い蓮の葉のような氷が、陽光にしたがって青、赤、黄、紫と微妙に色合を変える。また沿岸で厚く結氷した氷塊が、岸辺に向かって吹く風に押されて、海岸に山のように盛り上がる巨大流氷山脈の迫力も凄い。史上最大の流氷山脈は、2000225日に高さ20m、長さ200m、幅10mで、西浜町の海岸に一気に出現した。数時間で30mに盛り上がったこともあるという。

 これはいわば地場産の流氷だが、本命ははるか沖合いから現れる。「流氷が海岸から初めて見えた日」これが流氷初日の定義である。しかもその観測地点は、海抜53,2mの網走地方気象台と決まっていて、ここからの水平線は25km先の距離にある。人工衛星やレーダー、航空機などいろいろな観測方法があっても、目視観測が現在も基本である。気象は、人間の皮膚感覚、体験感覚で捉えることによって、微妙な自然を感じることができるのだ。

 その観測の記録は明治25年(1892年)から始まっている。その初日の一番早いのが、明治3115日、遅かったのが明治36213日で、「終去」(流氷終日)の早いのが明治3635日、遅いのが明治3858日というから、明治の流氷も年によって差が大きく、現在でいう流氷異変はその頃からの現象であったことがわかる。1989年(平成元年)は、流氷接岸せずという「流氷ゼロ年」となったが、100年前にもあったという。

 沖合いから迫る流氷のもとは、アムール河にある。全長4400km、下流の幅は4km、水深70mもある大河である。その真水によって、オホーツク海には表層25mから50mの低塩分の層があり、世界で一番南にある氷海となっている。その流氷は忍者のように、夜陰に乗じて動く。、最近の平均は114日だが、2001年(平成13年)には1227日が初日で新記録をつくった。地元はこの流氷を観光の柱にしているが、自然の変化は捉えどころがなく、事前の予報はあてにできない。当たり外れはつきものである。

 しかし海面が一夜にして真っ白な氷原になる「流氷量10」となると壮観だ。一面の氷原が巨大なスクリーンになり、上空の雲の動きに合わせて濃淡を描き、氷原の一部が突然に白い炎を上げる。「雲氷現象」である。また沖合が時化ると、波浪が流氷の合間をくぐり、海の底から岸に寄せてくる。そのとき氷塊がぶつかり合って不思議な音を鳴らす。著者はその音に「流氷鳴り」と名付けた。この素敵な名前は、やがて一般に定着して、「流氷鳴りを聴く会」に発展した。「日本の音風景百選」にも選ばれている。

 流氷の厚さは、2mから3mにも達する。その流氷も海明けの季節を迎えると、いっせいに沖合に帰ってゆく。北見大和堆という海域付近で6月ころまで漂流するが、やがてすべてが文字通り氷解する。鮮やかに舞台から消えてゆくのである。 著者の流氷への思いは深く、江戸時代の観察記録や氷海に生きる漁師たちのエピソード、流氷観光、流氷と文学、流氷と生き物たちなど話題はつきなかった。「了」 

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