こちらロンドンでは昨日も今日もイギリスのサッチャー元首相死去のニュースが駆け巡りBBCや民放は特集番組を組んで報道しています。
サッチャー元首相の功績は多大で、かって「英国病」や「ヨーロッパの病人」と揶揄されていた英国を国営企業の民営化、金融の自由化、企業競争原理の導入、外国企業による投資の促進策等で見事に蘇らせ、英国の国際的な地位向上に貢献したこと、更に、英国領のフォークランド島が突然アルゼンチンに占領された時、「土足で我が家に上がり込むとは何事か!」とアルゼンチンを糾弾し、間髪を入れず14000kmも離れたフォークランド島に連合艦隊を派遣し、アルゼンチンと戦ったいわゆるフォークランド戦争を勝利に導いた功績等が、多くの国民から評価されています。 一方、70年代から80年代にかけて、サッチャー首相は頻発するストを扇動していた労働組合と対決して一歩も譲らず、炭鉱労働組合や製造業の業種別労働組合を潰し、結果として特に鉄鋼、自動車、電機、化学産業をはじめとする製造業を抱えていた多くの企業城下町だった地方都市の弱体化を招き、300万人を越える失業者を生み出しました。この為、我が町が潰された思いを持つ労働者階級の国民からは未だに非難され、ある炭鉱城下町の元炭鉱労組の幹部は「サッチャー元首相の死を歓迎する!」とBBCのインタビューに答えていたのには驚きました。
実は私も1971年2月、ロンドンに赴任して間もない頃、炭鉱ストに遭遇しました。当時、労働争議が頻発しており、特にこじれた炭鉱ストは最悪の状態になり、発電用や都市ガス用の石炭のストックが危険レベルまで落ち込み、ついに一週間の停電とガスの供給停止の事態になってしまいました。その時、借りていた住宅が電気暖房だったので寒さに震えた記憶があります。この後、数年間は労働争議が絶えず、郵便、国鉄、消防、救急車までが頻繁にストをしていたのには、閉口した記憶があります。
いずれにしても英国ではサッチャー元首相の功績を評価する声が大半で、首相官邸はダイアナ妃やエリザベス皇太后と同じステータスの国葬級の葬儀を4月17日にセントポール寺院にて行うと発表しています。葬儀当日の朝、棺は国会議事堂内のチャペルに安置され、その後、直ぐ隣にあるウエストミンスター寺院に移され、約2.5kmの道のりを、軍の由緒ある大砲運搬車でセントポール寺院まで移送されるとのことです。日本からも元首相クラスでサッチャー元首相と親交の深かったが方が葬儀に参列すると思われますが、さてどなたでしょうか。
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荒川さん
製造業がつぶれて生み出された300万人の失業者はその後どうなったのでしょうか。結果として、英国経済は復活したわけで、産業構造が変わって新しい雇用が生まれてトータルでは、失業者は減少したのでしょうね。
炭鉱労働者が英国経済がつぶれても炭鉱労働は存在してないはずなのに、そんなことは絶対に認めないというのがその幹部の考えでしょうか。
どういう産業が雇用を吸収したのか、ご存知でしたらご教授願いたく。
宮地さん
英国の製造業のGDPに占める割合は添付グラフ①の如く、減少しています。しかし、GDPは増加していますので、結局は宮地さんの言われる様に、産業構造が
変わって新しい雇用が生まれて失業者が減少した事になります。例えば不動産、金融、流通、運輸、通信、小売、建設、サービス業等で300万人の失業者の 半数近くは吸収されたと考えるのが妥当だと思います。2011年でも失業率は8.1%、失業者数は190万人でしたが、今年は経済も横ばいで、失業率は悪化 しそうです。
サッチャー首相の時代(1979年~1990年)の前半のGDPはグラフ②の如く減少し失業率は12%と最悪で、後半の86年以降はGDPは増加の一途で、90年の退任時は失業率は7%と改善し、GDPは80年の倍になっています。これは明らかに、金融の自由化や競争原理の導入、外国企業の投資等の効果でしょうね。 結果として製造業のGDPに占める割合は確かに下がっています。しかし航空機、軍需産業、自動車、化学産業、医薬産業等に於いては、純粋な民族資本の製造業は 減ってはいますが、外国資本の製造業に引き継がれ健在です。例えば、自動車は 日本の日産、トヨタ、ホンダ、ドイツのBMW、アメリカのGM、フォードが国内市場とヨーロッパ市場向けに生産しています。
グラフ② 英国GDPの推移