「ロボットで探る昆虫の脳と匂いの世界」 神埼亮平著 2013年2月6 日 吉澤有介

  ファーブル昆虫記のなぞに挑む

 私たちのまわりの空中には、さまざまな種類の匂いが存在します。そこで感じた情報は、脳に伝えられて、「匂いの世界」をつくりあげてゆきます。しかしすべての匂いを感じたわけではありません。ヒトにしかわからない匂い、昆虫にしかわからない匂いと、動物によって「匂いの世界」は異なります。ファーブルは昆虫記の中で、オスのオオクジャクガが数キロメートルも離れたところから、メスの匂いを頼りに飛来することを記しています。昆虫には、私たちには全く思いもよらない嗅覚能力があるのです。その匂いを区別して感知する、脳の仕組みはどのようになっているのでしょうか。

 著者はこのナゾに30年間、取り組んできました。研究を始めたころは、昆虫の匂いと脳についての研究はほとんどなかったのです。その後分子生物学や、遺伝子工学による画期的なアプローチがもたらされ、著者らの匂いの受容についての研究は飛躍的に進展しました。生物学者はもちろん、工学、情報学、数理学者との共同研究で、昆虫の脳神経回路の探求や、神経回路モデルの構築、さらにロボットによるモデルの検証へと発展しています。

 昆虫は生物に共通したニューロンと脳を持っていますが、哺乳類などと比べてニューロンの数は桁違いにすくない。そしてその神経系は頭部、胸部、腹部に分散しています。アタマを切り離しても、羽ばたくことができるのです。著者の研究室ではその微細なニューロンを一つずつ捉えて、それぞれの働きを明らかにしてきました。世界ではじめての発見が続いたその経緯は、ビギナーズラックではない未踏の分野を行く快挙と言ってよいでしょう。こうして現在、1200個のニューロンのデータベースが登録されています。

 カイコガの脳内には、体内時計などに関連するセロトニンを放出するニューロンが23対ありますが、そのうち特異の形をした1対だけが、フェロモンの感度を調節していることを、2003年に研究室の留学生が突き止めました。フェロモンの化学構造は、ドイツのブーテナントが戦前に日本から送られた100万匹のカイコから解明したという話が有名です。

 昆虫の匂いのセンサーは触覚です。触覚にはたくさんのトゲのような感覚子がありますが、その中にフェロモンにだけ強く反応するものがあり、フェロモンはその感覚子の穴から内部の受容体に伝わるのです。カイコガの性フェロモンの受容体はオスの触覚のみにありますが、その遺伝子は2004年に、京大の大学院生らによってはじめて発見されました。
 昆虫は匂いを感知すると、その匂い源を探索する行動に出ます。そこには一定のパターンがありました。風に乗ってくる匂いに対して、まず直進して近づくと、ジクザグターンに入り、回転歩行に移って対象を確認するのです。カイコガの実験で、これが反射とプログラム行動という、全く異なる性質の行動であることがわかりました。神経回路がフリップフロップ応答をしていたのです。そこで匂い源探索の行動指令をつくる神経回路でロボットを動かしたところ、見事にカイコガと同じ行動をしました。「昆虫脳操縦ロボット」の誕生です。現在は、東工大の倉林研究室と共同で開発を進めているとのことでした。「了」

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