「動的平衡1」 福岡伸一 2012年10月12日 吉澤有介

  生命はなぜそこに宿るのか 

 著者は1959年生まれ、京都大学、ロックフェラー大学、ハーバード大学などで研究生活を送った気鋭の分子生物学者です。その体験からまず日米の大学の研究環境について触れています。日本の場合は、教授になればほぼ終身雇用で、少ないながらも研究費は大学から貰えます。しかしアメリカでは、大学はブランドと設備つきで、教授に研究室を貸すだけの大家なのです。教授は研究費をすべて自分で工面しなければならない。スタッフにも給与を払いますから、教授はスポンサー探しが一番の仕事になっているという、生々しい話でした。おカネを求めてベンチャーを立ち上げる教授が出るわけです。とくにバイオベンチャーにそれが目立ち、失敗も多い。優秀な教授が消えてゆくといいます。端的にいえばバイオつまり生命現象が、本来的にテクノロジーの対象になりにくい。工学的な操作、規格、効率の良い再現性などになじまないものとして生命があるのです。

 それでは生命現象とは一体何なのか。著者はそれを「動的平衡」にあると捉えています。生物学の難問に「記憶とは何か」があります。だいたい脳の特定の場所に記憶物質があるはずはない。すべての生体分子は合成と分解の流れの中にあります。どんなに特別な分子であっても、いずれ分解して更新するのですから、その都度情報は消えてゆくでしょう。それが残るとすれば特定の細胞ではなく、神経回路の働きにあるはずです。この分野のノーベル賞を狙う決闘はすざまじいものでした。

 生命はどんどん分解してゆけば部品になります。しかしそれを機械のように組み立てても生命体にはなりません。生命現象のすべては、エネルギーと情報が織りなす「効果」にあり、その効果が現れるためには「時間」すなわちタイミングが必要なのです。

 しかし私たちは生命体を機械論で考えることが多い。コラーゲンが足りないといわれれば、コラーゲン添加食品で補おうとします。ところが実際にはそのまま補給されるわけではない。外からとったコラーゲンは、消化作用でバラバラなアミノ酸に分解され、血液に入って全身をまわり、新しい蛋白質になる。体内のコラーゲンにはならないのです。ほかの栄養素でも同様で、膵臓から出る多量の消化酵素がすべて分解して必要なだけ再生し、あとは排泄する。ここにはもはや元の形はありません。混沌の中に動的平衡があるのです。

 「私たちは自分の食べたものそのものである」という諺があるそうです。ところが私たちが食べている食品には、ほとんど添加物が入っています。使用許可はあるが、安全とは限りません。食品の分子はそのまま私たちの身体の分子になる。もし食品の中に生物の構成分子でないものがあれば、私たちの身体の動的平衡に負担がかかるでしょう。その検証のために私たちはいま壮大な人体実験を受けているのです。人体実験といえば遺伝子組み換え食品も同じで、全く別の遺伝子を導入された植物や動物の平衡系は必ず乱されます。

 生命、自然、環境そこで生起するすべての現象の核心を解くキーワード、それが「動的平衡」なのです。生命が流れであり、私たちの身体はその淀みであるとすれば、生命は環境の一部、あるいは環境そのものでしょう。挿話も多く読みやすい好著でした。「了」

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