ブレイン・マシン・インターフェイスの最前線
思考はどのようにして生まれるのだろうか。石器時代の洞窟壁画から、モーツアルトの交響楽やアインシュタインの宇宙観にいたるまで、人間の本質を表すものはいずれもその起源は同じだ。それは相互につながった脳内ニューロンの大集団が生み出す絶え間ない動的作用なのだ。これまでは伝統的に、単一ニューロンにもとづく脳機能局在論の研究が続いてきたが、単一ニューロンでは行動に移ることはできず、思考を形成することもできない。著者は、思考をニューロンの大集団に分散することによって、進化は脳に保険をかけていると考える。局所的に傷害を受けても、ニューロン集団は臨機応変に対応して、自己組織化を進めて修復してゆくのだ。それに脳は外界からの刺激をただ待ち受ける受動的な情報解読器ではなく、能動的に外界のモデルを構築するシミレーターなのである。シミレーションの過程で、脳は身体の枠を超えて外界を同化し、自己を延長する。
著者は現在、デューク大学神経科学教授で、ブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)の、世界の第一人者だ。BMIとは、動物や人間の脳を機械につなぎ、脳が発生する電気信号によって、機械やロボットを動かすシステムのことである。具体例として、アタマで考えるだけで水が飲めることをラットに教え込んだり、サルの脳信号によってアームロボットを動かしたりして、これまでBMIの実現に向けてさまざまな実験を行ってきた。
2008年には、サルの脳信号をはるばる地球の反対側の京都にある国際電気通信基礎技術研究所(ATR)に送り、ヒト型ロボットに歩行運動させる実験に挑戦している。ここでの難題は、ダラムにある著者の研究室から京都へ脳出力信号を送り、京都からダラムへ映像信号を送り返す総遅延時間を250ミリ秒以内にすることであった。その準備ができたところで著者のチームは、ダラムと京都にニューヨークタイムス紙を招いて実験に臨んだ。ダラムで体重6kgのアカゲサルをトレッドミルに乗せて、一定の速度に合わせた歩行が始まると、京都のトレッドミルに乗せられた日本製の90kg、150cmのヒト型ロボットが、サルの脳からの信号を受けて同じように歩き出したのである。まさに感動の一瞬であった。
著者が思い描く「BMI」の未来は明るい。まず脊髄損傷などによる身体麻痺患者に人工神経装具を装着して、患者本人の意思で歩くという「ウオーク・アゲイン・プロジェクト」がスタートした。ゆくゆくは人間の脳と機械の融合、人間の脳どうしをつなぐブレインネットにも展開できる。さらに諸々の技術課題が解決されたら、微小世界や深海、宇宙の果てまで誰でもリアルに体験できるだろう。自宅でくつろぎながら、遠くの天体の表面を自分の手で触れる感覚を味わうことも夢ではない。本書は400ページを越える大著で、BMI実現に向けての実験過程が詳細に述べられている。手足を切断した後の幻肢現象や、体外離脱感覚などもこの研究のきっかけになった。体外離脱で他人と身体を交換した体験事例もある。著者は、私たちの脳は「相対論的」だという。人間の脳が身体から開放されるのだ。空間、力、時間などの私たちの宇宙の見方も、劇的に変わってゆくことだろう。「了」