虫の目、人の目、タヌキの目
これもゲッチョ先生こと盛口満さんの、飯能での楽しい里山自然観察の記録です。もう20年も前に書かれたものですが、ここには著者が生まれ育った千葉を離れて、この飯能にある自由の森学園の採用試験を受けたときのいきさつが語られています。おもしろい校風の学校と聞いてはいたものの、東京から電車で小一時間のところなのに、緑と川に包まれたこの学校が、まるで山の中の分校のように見えたそうです。著者がこの学校へ生物教師として就職した一番の決め手は、この周囲の自然が気に入ったからでした。
さて少年時代から生物が好きだったゲッチョ先生が、「生物の教科書」のつまらないことに疑問を感じたことから、痛快極まりない破天荒な授業が始まります。大学を出たばかりの新任教師なのに、「もっとナマの自然に触れなくてはダメだ」「生物のおもしろさを伝えたい」という熱い思いがこみ上げてきたのです。そこでアタマを絞った最初の授業が、「外に出て食べられそうな野草を採って天プラにする」というものでした。はじめはあっけにとられていた生徒たちも、油をいれたナベをコンロの火にかけると、みんなその気になってタンポポの天プラを揚げて大騒ぎになりました。しかしそれからが問題で、次の授業に悩んでいたときに先生は、学校の近くで偶然野生のタヌキに出会ったのです。
ここからタヌキについての、生徒たちとの型破りな共同研究が始まりました。生徒が交通事故で死んだタヌキを持ち込んでくると、一緒に解剖して胃袋を調べる。何を食べていたのか細かくみると、カキの実にトンボ、カドウマなどの虫が多かったことがわかりました。食肉類のタヌキは雑食性だったのです。学校の近くでタヌキのタメ糞を見つけて確認もしました。さらに足型をとる、骨格標本をつくるなど、生徒たちの行動はどんどん拡がってゆきます。タヌキの集団変死事件も絶好の教材になりました。その生態も次々に明らかになって、ついにはみんなでタヌキの目になって林を見る気分がしてきたのです。
ムシの観察は、先生のお手のものでした。チビタマムシでは、クズ、ケヤキ、コナラ、コウゾ、クリ、ヤナギなど、それぞれに別種がいるのです。またオトシブミの揺籃づくりの観察は圧巻でした。まずはクヌギの葉に切り込みを入れる順序、巻き方の向き、折り目のつけ方、ときどき休憩、産卵して最後に♀が飛び立つまで、1時間20分にわたって観察を続けて、数十枚の見事なスケッチをしています。これではファーブル先生も真っ青でしょう。オトシブミも木によってまた種が違うのです。ムシに寄生するキノコの冬虫夏草も身近にいました。なんと不思議な生物なのでしょうか。里山の豊かさは、ムシの目で見ることで、また一段と深まってきたのです。先生はスケッチの達人でした。 タヌキやアナグマなどの食性を調べると、彼らが環境に応じて実にあいまいな生き方をしていることに気付きます。自然はいつか変わってゆくのです。教科書では自然を抽象化して伝えようとしています。説明が楽だからです。しかし自然はどれだけ複雑なのか、自分がじっくりと観察することによって、自分の力で抽象化してゆくのが本来の姿でしょう。ヒトの目が基本なのです。スマホの対極にある大切なものを教えられました。「了」