この本は「理科」の思考力で歴史を見ようというものです。歴史的事実は同じでも、注目する主題の捉え方、推理の過程はかなり違います。その例をあげてみましょう。
第一章では、人類史からはじまり、縄文時代をスケッチしますが、ここで取り上げた主題は縄文の星空です。縄文学はたくさんありますが、天文を論じた本は皆無だそうです。縄文人が眺めた星空は、今日とはがらりと違っていました。その上で彼らが太陰暦を知っていたというのです。また文学の世界でも、万葉集を読むと、そこには日本人の数の数え方が、この時代に大きく変わっていたことがわかります。古代日本の数詞にはポリネシア系の影響が濃いのだそうです。そこへ弥生人が大陸系の数詞を持ち込んできました。ひとつ、ふたつの呼び方は古いのです。さらに二十歳をハタチというのはなぜか、三十歳をミソジということについても、興味ある議論が展開してゆきます。
縄文土器にはドットという小穴で数字が示されていました。また魏志倭人伝には、倭人が縄の結び目で数を記録していたとあります。これは当時の大陸でもあったそうです。また縄文人の距離の単位は、一日歩いての行程でした。もっと身近な寸法には縄文尺があったことはよく知られています。現代数詞への発展の過程や、和算の出現も興味深いところです。江戸時代の商業の発展が契機になったわけですが、関孝和の代数方程式の創出は驚くべきものでした。西洋数学が数世紀もかけてようやく到達した領域を、ただ一人で作り上げたのです。また西洋でもてはやされた黄金比に対して、日本ではAB版の規格が生まれました。いまや世界標準になろうとしています。日本人の縦横比の感性からきたものでしょう。また和製魔方陣として、独創的な奇数陣も紹介しています。
金属工学や、化学の世界については、興味ある話題もたくさんありましたが、これには類書も多いのでそちらに譲り、第六章のアルスの世界に入ります。ここには科学と芸術の接点という副題がついていました。21世紀の今日、科学は大きな節目にさしかかっています。いまこそ科学全体の源流を探り、その歴史に学ばなければなりません。
その現代につながる知性の源は、やはりギリシャにあります。やがてローマに引き継がれました。ラテン語で自然をナトーラと呼びますが、その対概念がアルスです。この訳し方が難しい。技術とか技芸というのが普通ですが、もっと広い人のやることすべてを含んでいるのです。ギリシャの哲学者ポエテウスによると、アルスは自由技芸と機械技芸に分けています。前者には言語を扱う論理学、弁論術などや、幾何学、天文学、音楽があり、後者には冶金、料理、絵画、彫刻、建築、畑仕事、家事、音楽演奏、舞踊などが含まれるとしています。ここには科学や芸術という概念はなく、高等な技芸と下等な技芸があるだけです。はっきりいえば貴族のものか奴隷のものかという違いなのです。この深層意識は今日まで続いていました。変化のきっかけは、なんと明治の日本での、帝国大学に工学部を置いたことだったそうです。科学の目的は何か、その源流であったアートと、どのように融合してゆくのかについて考えさせられた本でした。「了」