古事記では、まず荘重な序文で成立の主旨が語られ、その第1部には天地創造、国土創成、神々の誕生の物語があり、第2部に入ると舞台は天孫族の高天原の話に移ります。そこでは本来、アマテラスオオミカミが中心にいるはずですが、不思議なことに実際にはどうみてもスサノオノミコトが物語の主人公になっているのです。スサノオは姉のアマテラスに挨拶に行ったのに、突然荒れて乱暴狼藉を働く。そのためアマテラスは天の岩戸に隠れるという騒動があって、スサノオは高天原から追放されて出雲に天下ります。そこでヤマタノオロチを退治して、人身御供になりかけていたクシナダヒメを娶ったことで出雲王朝の祖になったという話になり、第3部のオオクニヌシノミコトの物語へと続いてゆきます。
とりわけ最後の、中つ国の国譲りのいきさつについての記述は詳細を極めています。
古事記の神代の物語では、その大半が出雲神話で占められているのです。それだけ天孫族の大和朝廷にとって、先住民族の出雲王朝の存在感が大きかったということでしょう。
出雲王朝については、先にお届けした司馬遼太郎のエッセイが早わかりに役立ちますが、古事記にはさらに興味ある話題がたくさん出てきます。スサノオが天孫族から出たというのは、その後の出雲を取り込むためで、もともと出雲の須佐の神だったらしい。彼には朝鮮系の影が濃いようです。それに出雲では、別人のように穏やかで、沖ノ島の宗像の神や安曇族とも連携しています。実は彼が天下る前に、すでに出雲族は大きな勢力を持っていました。クシナダヒメを育てたアシナヅチ、テナヅチは、自らオオヤマズミの子であると言っています。オオヤマズミは古い山の神で、日本各地に今でも深い信仰を集め、会津の柳津にある大山祇神社はとくに有名です。またスサノオとクシナダヒメの子に五十猛神(イソタケルノカミ)がいて、木の種を持ってきたと伝えられています。各地ではじめて植樹をしたのだそうです。後に熊野大神になりました。出雲族には森林の神がいたのです。
オオクニヌシノミコトはスサノオから6代の後裔とされています。彼は若いときに兄たちにひどくイジメられました。神代にもイジメがあったのですね。三度も殺されかけました。それでも最後には政権を握って、スクナヒコナノミコトと共に良くクニを治めました。
また後にはオオモノヌシの力を借りています。これは三輪山の神で、その子孫はカモ族と呼ばれていました。オオクニヌシの子孫もカモ族です。カモはカミからきたのでしょう。今でも全国各地にカモの地名があります。京都の上・下賀茂神社、葛城の鴨、石見の鴨、みんなそうです。鴨長明もいましたね。私の両親の郷里の近くにも加茂市があって、古くから小京都と呼ばれていました。もうここまでくれば皆さんもお気づきでしょう。私たちK-BETSの森の先生、飯能市の鴨下さんも出雲族の末裔に違いありません。 天孫族が国譲りを迫ったとき、オオクニヌシはすでに老齢で、その子のコトシロヌシが交渉に当たりました。談判は三度にわたって決裂し、四度目に天孫族が武力をちらつかせてようやく成立しましたが、それでもすぐには中つ国に入れませんでした。出雲族の勢いがそれほど強大で、天孫族の記憶に長く残ったために古事記に大書されたのでしょう。了