ゲッチョ先生の森の学校: これは先にご紹介した「飯能博物誌」(私家本)の著者による、どきどきするような楽しい生きもの物語です。
「ゲッチョ」とは、南房総でカマキリやトカゲのことをいう方言だそうですが、これが千葉大学理学部生物学科を卒業してすぐに勤務した、飯能市にある「自由の森学園」での著者のアダ名になりました。 生物が限りなく好きだった著者は、このユニークな教育で知られる中・高一貫の学校で生物の授業をしていますが、生徒たちの興味を引き出すためにさまざまな工夫をしています。それが本書の主題の「なんでこんな生物がいるの」という問題を、生徒たちと一緒に考えてみることでした。著者自身がこの問題を一番考えたかったのです。このところサンデル教授の白熱教室がよく話題になっていますが、このゲッチョ先生の教室風景は、それどころではありません。生徒たちの疑問はどんどん発展して、その教室は実に活気に満ちたものになりました。その授業のいくつかを取り上げてみましょう。
まず「たくさん生むのはなんのため」から始まります。しかしその問題への入り方は絶妙でした。ハチの絵を生徒に描いてもらったのです。いろいろ楽しいハチの絵が出てきましたが、そこでみんなで共通点を探したら、腹に縞模様があることに気がつきます。それは何のためでしょうか。どうやらオレは毒針を持っているから危険だぞという合図らしい。こんどはトリになったつもりで、食べられるムシを挙げてみる。トリはどのくらいのムシを食べるだろう。サナギや幼虫まで考えると、ムシはどのくらい卵を産んだら生き残れるのだろうか。先生のスライドでデータが示されると、生徒たちの意見が沸騰します。生物の食べられないための擬態などの戦略や、食う側の工夫もあって、生む数や繁殖サイクルまでの幅広い議論が展開されてゆきます。実際にみんなでタラコの粒も数えました。こんな授業に参加した生徒たちはどんなに幸せなことだったでしょう。
生物の生存戦略を突き詰めてゆくと、問題は「生物のニッチ」に行き着きます。ニッチとは何でしょうか。そういえば私たちの現役時代にも、企業戦略としておなじみのものでしたね。ゲッチョ先生は、大胆にも生徒たちにこの問題を突きつけます。食べる方からみると、生物には特定の食べ物しかとらないスペシャリストと、なんでも食べるジェネラリストがいる。それにそれぞれの棲みかもあるから複雑です。日本に棲む哺乳類からみんなで考えてゆくことにしました。その一例として、ゲッチョ先生はお仲間の先生と協力して、モグラの生態観察装置をつくりました。金網のトンネルの中を動く様子が丸見えな愉快な仕掛けです。そこから西日本にいるコウベモグラと、東日本にいるアズマモグラの棲み分けの話になり、モグラが日本列島に渡った経緯にまで議論が展開してゆきました。 本書では、生徒たちのナマの声が縦横に飛び交っています。生徒の反応は時として辛辣なほどでした。先生も真剣に勉強して応えます。私はゲッチョ先生の大ファンになってしまいました。飯能市も、このような学園があることを誇りにしてよいでしょう。盛口先生は現在沖縄大学準教授を務めています。「了」