ロボットの概念や研究は、そもそもヒトや生き物の外観や機能を模倣することから始まった。西欧でも日本でもからくり人形が元祖である。1928年には昭和天皇即位記念博覧会に、高さ3,5mの「学天則」という初の本格的ヒト型ロボットが出展されたが、その開発者は元北海道大学の生物学者、西村教授であったという。工学の専門家ではなかった。
現在でもヒトや生き物を真似ること自体に意義のあるロボットがたくさん開発されている。ホンダのASIMOや、ソニーのAIBO、会社の受付ロボット、恐竜やサカナのロボットなどである。またヒトの身体の物理的特性や機能まで真似た医学実習用のものや、クルマの衝撃試験用のもの、日本文理大学の昆虫型ロボット、東工大広瀬茂男教授のヘビ型ロボットもある。これらのロボットが生き物に似るのは当たり前のことだろう。
しかし本来は生き物を真似たつもりでないのに、結果的に生き物とそっくり似てしまう例がたくさん存在する。なぜ似てしまうのか、その謎を追うのが本書の目的である。
産業用ロボットのシャベルカーはヒトの腕にそっくりだし、米国発のお掃除ロボット「ルンバ」は形も機能もカブトガニにとてもよく似ている。国際宇宙ステーションのロボットアームはタカアシガニそのものだ。大きさでみると、大型シャベルカーはゾウに、ミニシャベルカーはアリに似ている。力学的制約のもとで最適な設計をすると、結局は神様が決めた生き物の構造と同じところに落ち着いてしまう。生き物がいつも先行しているのである。4足ロボットの足の運びもそうだ。力学的に求めると4足動物と同じになる。試みに読者も四つん這いになって進んでみて欲しい。きっと愕然とすることだろう。
また二足歩行のロボットは、いつも中腰で自由度縮退を防いでいるが、それはテニスプレイヤーの姿勢に通じている。さらに生き物のような柔らかい身体と柔らかい動きを目指すロボットも現れた。これをコンプライアンスがあるという。ドラえもんの手がそうだ。イクラを掴んだり、ビーカーをそっと持ったりする。ここではいい加減な力をうまく制御することがポイントになる。かって著者も、考え抜いて開発した柔らかいロボットを発表したところ、それはヒトのある部分とそっくりだと指摘されて笑ったことがあった。
硬いからだを柔らかく動かすコンプライアンス制御もある。しかしロボットに正座させることはまずできない。関節の構造によるのだが、ヒトのヒザ関節はその難問を見事にクリアしている。ここでも神様が先行していた。筋肉のメカニズムは絶妙である。ロボット設計者が目指す究極のアクチエーターだが、まだキャッチボールにも手こずっている。
生き物の特性は自己増殖機能にある。この神様の技術をMEMSで狙う動きも紹介されている。ロボットが自分で故障を修理し、子孫を残す自己組織化の夢が果たしてかなうであろうか。著者は生き物になぜ車輪がないのかと問い、その答えから想像力と知恵の使い方次第で、ロボットには神様の設計を超える大進化の可能性があることを示している。著者は1959年生まれ、横浜国立大学工学部卒、大学院を経て東芝に入社、各種ロボットの研究・開発を行い,2001年に退社して岡山大学教授に就任している。工学博士 「了」