農村起業のすすめ「日本の田舎は宝の山」曽根原久司 日本経済出版社 

 著者は1961年長野県生まれ、大学卒業後音楽活動を経て経営コンサルタント会社に勤務しているうちに、日本の農山村の地域資源の将来性に着目。1994年に独立して山梨県の農村に移住し、まず100坪の自給農業を開始しました。

やがて2001NPO法人「えがおつなげて」を設立して代表となり、壮大な地域振興活動を展開しています。
山梨県を選んだ理由は、首都圏から近くて自然環境が素晴らしいのに、耕作放棄地が全国第2位だったことでした。その中でも白洲町(現在の北杜市)は、耕作放棄率が一番ということで、農地が借りやすいと考えて移住したのです。まず地域に溶け込むため「組」に入って、水路の管理や草刈、清掃などに積極参加し、地域農業社会の一員になりました。農地もどんどん借りて、その実績から農業者として認められると、地域資源の活用アイデアが一挙に出てきたといいます。農産物の販売から都市農村交流型農業に発展したのです。農業とともに林業も手がけました。近くの別荘地に薪をセールスして大当たりし、その延長で新しい薪ストーブを開発販売しました。それも顧客が薪を割る体験までセットで商品にしたので注文が殺到したそうです。農産物は自然食品店に直販、自宅にレストランも開くなどして、移住5年目で事業収入は1000万円に達しました。事業規模が拡大したので、仲間を集めてNPOを設立して都市と農村を結ぶ交流型ビジネスを進めることにしました。ここで考えたのは企業との連携です。和菓子屋と始めた企業ファームの花豆モンブラン、丸の内のシェフを巻き込んだ山梨食品フェア、三菱地所の「空と土プロジェクト」と提携した耕作放棄地の開墾体験ツアー、さらにそこで栽培した酒米を地元の酒蔵で純米酒にして「丸の内」と名づけ、三菱地所から披露して大好評を得ました。三菱地所との連携は、国産材活用ワークショップで間伐材の加工から三菱地所ホームへと流れるサプライチェーンの構築に発展しました。これらの都市と農山村を結ぶ仕掛けによって、限界集落に人が集まるようになったのです。まさに田舎は宝の山でした。

この「えがおつなげて」をモデルにして、山梨県では六次産業化をめざす産業振興ビジョンがスタートしました。農山村に眠る豊かな資源に気づいたということでしょう。著者は次の分野で10兆円の産業、100万人の雇用が全国に生まれると確信しています。

①六次産業化による農業(3兆円)
②農村での観光交流(
2兆円)
③森林資源の林業、建築などへの活用(
2兆円)
④農村にある自然エネルギー、太陽光、小水力、バイオマスの活用(
2兆円)
⑤ソフト産業、情報、教育、
ITなど(1兆円) にわかには信じられないかもしれませんが、その根拠はすべて著者の実践経験からきています。山梨県の経済規模が全国の100分の一なので、えがおの実績から容易に推定できるというのです。  この山梨モデルは、個人が生き、地域が生き、世界が生きる地域資源活用具体策で、どこでも実施できます。自分が楽しいと思う生き方に仕事がついてくるのです。
補助金を出す側にいた経産省審議官まで、退職して著者のグループに参加したのには驚きました。県、企業、
NPO、大学まで連携した壮大な田園都市社会構想がいま動き出しています。「了」
                         
 要約   2012215 吉澤有介

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