著者は動物行動学者で、霊長類の社会的知能研究の世界第一人者。
著書に「利己的なサル、他人を思いやるサル」、「あなたのなかのサル」などがある。
本書では、人間の社会も動物の社会も、ともに共感と信頼によって協調的な世界をつくってきたことを、数多くの観察と実験によって証明している。共感は生物進化に深く根ざした能力なのだ。他者の見方や視点を読み取り、同一化によって相手を慰めたり、相手と協調行動を取ったりする能力は、ヒトに限らず多くの動物に見ることができる。霊長類学は「役に立たない学問の典型」と思われるかも知れないが、本書は霊長類学が社会に根本的な提案をすることができることを示した重要な証言である。
世界の動きを見ていると、今どき強欲は流行らない。世は共感の時代を迎えたのだ。私たちがこの世に存在する目的とは、経済学者は生産と消費と言い、生物学者は生存と生殖と言う。この二つが似ているにはわけがある。両者は第一次産業革命期に同じイングランドで生まれたのだ。その論理も「競争は善なり」で共通している。しかしそのわずか前に北のスコットランドで生まれた経済学の祖、アダム・スミスは「道徳感情論」を唱えていた。それは「人間はどれだけ利己的であると思われていても、その本性には何らかの道徳基準があることは明らかであり、そのおかげでわたしたちは他者の境遇に関心を持ち、他者の幸福が自分に欠かせなくなっている。その幸福を見ることこそが一番の喜びなのだ」という主旨であった。このところの世界の大災害の現場は、その裏づけに事欠かない。強欲は善であるとする経済学者たちの主張は、果たして許されるのであろうか。
チンパンジーの社会を仔細に観察すると、食べ物は競争で取り合うが、やがてお互いに分配しはじめ、数十分もすれば全員に行き渡るようになる。多くの動物は相手を蹴落としたり、何でも独り占めにするのではなく、協力したり分け合ったりして生き延びてきたのだ。オオカミやシャチの群れでもそれは明らかである。
ダーウィンの進化論は、それらの多くの事例の観察から生まれた。動物たちはお互いに相手との絆を確かめ、信頼を深めるさまざまなしぐさをする。著者は多くの動物を観察している。オマキザルのお互いの目を突く信頼ゲームなどは、人間たちも遠く及ばないほどの共感と信頼からきているという。信頼とは、相手の誠実さや協力に対する依存、あるいは少なくとも相手が自分を騙しはしないだろうという期待と定義される。その認知能力は、同種の間はもちろん、異種の動物の間にも事例は広く見られて驚くばかりだ。
著者はその都度、私たち人間と対比している。男性は女性より共感度が低いという定説についての分析もおもしろい。結論から言えば条件の違いだけのことだという。人類は社会進化論に惑わされ、いつか間違った道に入ってしまった。生物として本来の共感能力を活かしてゆけば、信頼と協調の確かな世界を築きあげることができるはずなのに。
(要約) 吉澤有介