人と森の物語 池内 紀 集英社 2011・9・28 吉澤有介   

日本人と都市林  20117月初版

著者はドイツ文学者、エッセイスト、ドイツや日本の森についての著作が多い。
ここでは都市周辺の森について語っている。世界の都市には森がつきものだ。
花の都パリにはブーロ-ニュの森など、古都ウィーンには広大な「ウィーンの森」
があり、ロンドン、ニューヨーク、ミラノ、マドリードなど、世界の大都市にはど
こも
,すぐわきに大きな都市林をそなえている。
大都市だけでなく、地方の町でも都市生活者には広い緑のエリアが欠かせない。
わが日本でも,古来お留め山や鎮守の森を大切にしてきたが、高度成長という名の怪
物に貴重な森が呑み込まれてしまった。
しかしようやく近年になって
,多くの人々の努力で各地にさまざまな都市林が生まれ
ている。
ここには著者が歩いた
15の森が紹介してあるが、そのいくつかを拾ってみよう。 北海道苫小牧市2715aの素敵な都市林がある。もともと北大の演習林であった
が、長い間札幌の先生たちの勝手な指示でいじ繰り回された挙句に放置され、森
は病虫害にも侵されてひどい状態になっていた。
1973年、動物生態学を専攻した石城林長が就任して様子が一変した。
20人の職員をまとめて森の再生にあたったが、仕事の大半は札幌の本部との戦い
だったという。
マニュアルよりも自然を信頼し、「使ったのは、金よりも頭と時間」だった。
森は見事に再生し、現在その半分近くが一般市民に開放されている。
陸前高田市は三方を山に囲まれた、リアス式海岸の美しい漁業のまちであった。
そこに市民の森「箱根山」がある。
「花咲き、海光り、山笑う」を春の観光スローガンにしていた。
しかし
2011311日を境ににしてすべてあとかたもない。海岸の松原も根こそぎ波
にさらわれた。ところがその廃墟の中で、ある特有の屋根と木組みを持った民家だ
けが、場所は大きく流されたがほとんど原型のまま残っていた。
「気仙大工」のつくった家々である。
「気仙大工」は
300年以上続く技術集団で、広く関東一円まで活躍したという。
なぜこのような集団が生まれたのか。そのもとは幼いうちからの山遊びであった。
箱根山から裏山づたいに北上の森の木々と親しみ、その性質を知り尽くしていた。
技術の特色は、曲がった木を巧みに使いこなすことだという。
雪や寒風の中で曲がった木は、格段に強度があるそうだ。
この伝統の技が復興の大きな力になることを願っている。

埼玉県深谷市に王国の森がある。渋沢栄一の出身地を記念してつくられた。
「市民がつくり、市民が育てる、市民の森」として
2009年に生まれたばかりである。
かっては埼玉県農林研究センターで、閉鎖されたあと
48000㎡の広大な敷地は荒れる
にまかせるだけだったが、市民の熱意で蘇った。
アイデアも豊かなので、きっと楽しい森に育つことだろう。

このほか明治神宮の森もあげられている。
長野県松本市の青春の森では、旧制松本高校の建物がそっくり現存している。
和歌山県田辺のクマグスの森も、南方熊楠が守ったそのままの姿を見せていた。
富山県朝日町の「宮崎自然博物館」も異色だ。ここには建物が一切ない。
どこも行政はすぐにハコモノをつくるが、ここには本モノの森があった。
「了」

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