グローバル経済はどこまで落ちるのか
早くから市場万能の考え方を強く批判し、現行のグローバル化がもたらすさまざま
な弊害に警鐘を鳴らしてきた。
その警告のとおり、強欲をエンジンとしたアメリカの金融資本主義は、2008年つい
に破綻し、その衝撃は地球全土に拡がった。
グローバル経済は急降下(フリーフォール)したのである。
このような事態は大多数の人々には想定されていなかった。
自由市場とグローバル化に信を置く現代経済学は、万人が富み栄えることを約束し
ていた。
そしてニュー・エコノミーは規制緩和や金融工学など、20世紀後半の驚異的イノベー
ションの総称であり、より優れたリスク管理を可能にし、景気循環を消滅させるはず
だった。
しかし大不況が幻想を打ち砕いた。
今回の不況は明らかに80年前の大恐慌以来、最悪の景気下降である。
四半世紀のあいだ幅をきかせてきたのは自由市場主義だった。足かせのない自由な市
場は効率的で、もし過失を犯しても自力ですぐ修正する。
小さな政府が最良で、規制はイノベーションを阻害するだけだ。中央銀行は独立した
機関として、インフレだけに注意すればよいといった具合だ。
しかしこのような自由市場主義の全盛時代をリードして、英雄的存在だったFRBのグ
リーンスパン前議長も、ついにその論法の誤りを認めたがときすでに遅かった。
世界の人々の実害はあまりにも大きかったのである。
本書では、誤った大局観がどのように危機を招きよせたか、またどのように政策立案
者たちの目を曇らせ、また対応策がことごとく失敗した経緯を明らかにした。
目下進行中の危機は、資本主義というシステムの根本的な欠陥を暴きだした。
しかし市場原理主義の恩恵を受けた金融界では、まだそうは考えていない。
今回はたまたま起きた事故だった。
もうすこし職業倫理を教育すれば、もとの繁栄をとり戻すだろうと。
ブッシュ政権も当初は問題を直視しなかった。
その後を継いだオバマも、FRBのバーナンキにも期待は裏切られた。
彼らの認識は甘かったというしかない。
金融界に改革をもとめたのに猛反発を受けてすぐ後退した。銀行は大き過ぎて潰
せなかったばかりか、危機を招いた張本人に公的資金をゆすられるままだった。
銀行経営者の超高給をとがめると、政治献金をとめるとおどかされてうやむやに
なり、結局は自動車業界などの一般企業で、従業員の賃金が大幅カットに追い込
まれることになった。
今回の危機の前に、アメリカ経済やその他の多くの世界経済を支えていたのは、
住宅バブルを背景に借金によって裏付けられた過剰消費ブームだった。
住宅価格が永遠に上がり続けるという神話によって、アメリカ人は収入以上の
生活を享受できた。
いまこの神話を信じているものはいない。アメリカの成長の基盤となっていた
「モデル」は消滅し、代替となる「モデル」が現れる見込みはないのである。
低リスクにみえた戦略は、経済的にも政治的にも高いリスクを包含していた。
政府に対する信頼は低下し、大銀行と国民との対立が浮き彫りになり、表裏で
おこなわれた巨額の救済は、政府の財政を危機にさらした。
しかし過去の失敗を嘆いても仕方がない。
重要なのは、バブル崩壊後に限られた資源をどのように使うかということだ。
ここで著者は、すぐれた景気刺激策として、次の七つの条件を挙げている。
1. 速やかに実行する
2. 実効性を担保する
3. 国家の長期的問題の解決をうながす
4. 投資に重点をおく
5. 公平を旨とする
6. 危機を原因とする緊急事態に対処する
7. 雇用問題に集中する
しかしオバマ政権の認識は甘く、景気刺激策は中途半端だった。
規模が小さかったことに加え、減税は貯蓄に回るだけで効果は現れず、銀行の貸し
渋りもやまなかった。
結局借金による景気刺激策の支出だけでは、一時的な鎮痛効果しか期待はできない。
借金による民間消費が、借金による公的支出に変わっただけというものもいる。
経済を支える政策はほかにもあるはずだ。所得の平準化もある。
現在の世界は生産力が過剰な状態にあり、需要によって生産が決定されている。
世界規模での持続可能な総需要を回復させることだ。環境問題もその一つだろう。
金融システムの再構築は必須である。強欲に対するインセンテブはまだそのま
まなのだ。
金融システムの失敗は、経済システム全般の失敗の象徴であり、経済システムの
失敗は根深い社会問題の存在を示唆しているのだ。
政府は金融システムの望ましい将来像を曖昧にしたまま、銀行の救済に走ってし
まった。
しかも混乱を起こした政治勢力に、事態収拾の主導権を握らせてしまったのであ
る。わたしたちの政治システムの変革を怠ったツケが回ってきたのだ。
それでもまだ変化の可能性は残っている。
わたしたちは今、いくつかの機会に恵まれている。
新しい金融システムや経済システム、それに新しい社会システムを創出する機
会である。それによって人間と自然のバランスのとれた新しい世界が生まれる
ことだろう。
いま私たちが恐れる真の危険とは、これらの機会をつかみそこねることなので
ある。
著者は2001年にノーベル経済学賞を受けた。クリントン政権でアメリカの経済政
策を運営したケインズ派の経済学者である。
現在はコロンビア大学教授。
2011年8月25日 吉澤有介「了」