ランドラッシュ NHK取材班新潮社 2011年6月26日 吉澤有介

激化する世界農地争奪戦

  本書は2010211日、NHKスペシャルとして放送された内容に、さらに現地で実
際に取材に当たった担当者の話を付け加えたものです。
番組をご覧になった方もおられると思いますが、世界の農地争奪戦がここまで進んで
いることに慄然とするばかりです。

 農地争奪時代は、まず旧ソ連のウクライナ共和国から始まりました。
世界一肥沃な大地が、ソ連崩壊後の混乱によって放置されたままになっていたのです。
その農地に目をつけた英国企業が大規模に借り上げ、コムギの生産を開始しました。
もと陸軍の兵士を主力に、高性能機械を導入し、生産物をそっくり持ち出します。
農場は自動小銃を持った傭兵に厳重に守られていたそうです。
彼らは世界の食料増産に貢献しているのだと豪語していますが、実態は自分たちの利
益の最大化を狙っているのです。
ウクライナ当局は農地を収奪されていることに怒りながら、自ら農地を活用する力が
ないことを嘆くしかないと告白しました。
現在、ウクライナでは欧州を中心に
20カ国の企業が農地を獲得しています。

 その動機は、世界の食料危機だけでなく、穀物市場システムへの信頼崩壊によるも
のでした。食料危機を見越して、穀物生産国が輸出規制に走ったからです。
自由貿易に任せていたら、穀物価格が上がって自国でも食料が不安定になってしまい
ます。さらにリーマンショック以来の金融危機で、企業や投資家が海外農地への投資
を重要な収入源とみるようになりました。
食料危機と金融危機が同時進行して、グローバルな農地争奪戦が始まったのです。

 このランドラッシュには、民間の動きに国家の影がありました。
「食料安全保障」戦略です。とくに中東や北アフリカ諸国は、貴重な水を保全するた
め自国での農業をやめ、オイルマネーでエチオピアや東南アジアなどでの農地確保を
しています。
また韓国の李大統領は
2008年「海外農地獲得宣言」を打ち出しました。
すかさず大宇はマダカスカルの全農地の半分(
130ha)を99年間無償で借りる計画
を発表してたいへんな騒ぎになりました。
さらに現代重工業がシベリアの広大な農地を買い集めました。
沿海州で農地を買ったニュージーランドの実業家を足がかりに、本格的に進出したの
です。
当初は日本の商社も狙っていたのですが、韓国が李大統領を先頭に電撃的スピードで
圧勝しました。
ロシアもまた日本より韓国を選んだのです。
ロシアは旧ソ連時代の集団農業が崩壊して、だれも働かなくなってしまいました。
広大な農地が荒れるままになっていたのです。沿海州には多数の韓民族が住んでいた
ので、韓国企業はその同朋を雇って、安定した労働力を確保しました。
韓国政府は将来の南北統一を視野に入れて、長期的な食料確保を目指しています。

 日本政府にはそのような戦略的な意識は全くみられません。
ところがここにただ一人、将来の夢を持った青森の農家の木村さん(
58歳)が、単身
でウクライナに乗り込んでいました。
数年がかりで現地の農場主にダイズの生産を技術指導し、契約栽培を開始していたの
です。木村さんの本当の狙いは千
ha以上の農地を自分で借りて、大規模にダイズを栽
培して日本に送ることでした。
その熱心な指導ぶりに現地の信頼も厚く、先方からも農地を譲りたいという好意的な
申し入れがありましたが、大規模経営に踏み込むとなると先立つ資金が必要です。
木村さんは帰国してすぐに商社回りをしましたが、食料はいつでも買付けできるから
と、どの商社も全く話に乗ってきませんでした。

 しかしこの話を知った一人の外務官僚がいたのです。
外務省経済安定保障課の井上課長補佐で、かねてから日本の食糧安保に取り組んでい
たので、青森の一農家の木村さんに直接会いにきました。
井上さんは事情を聞いて積極的に動き、現地の日本大使館とも連携して、実態把握を
して確信を持ちました。
外務省としては
1973年当時、田中角栄首相によるブラジル農業支援「セラード開発」
に成功したことがあったのです。ただ当時とは様子が違います。
海外農地活用は「新植民地主義」と紙一重なのです。
井上さんは政府を動かし、日本政府から国際社会に向けて、透明で責任ある海外農業
投資をと提言するよう働きかけようとしました。
途上国の農業技術支援なら歓迎されるからです。しかしすでに明らかな新植民地主義
に突き進んでいる各国は、摘発されることを恐れて警戒しました。
インド企業はエチオピアで
31haの農場を経営して、その収穫はすべて自国に持ち出
しているので、エチオピア国民は今も飢えに苦しんでいます。
そしてついに中国まで、ロシアに
42haの農地を借りて進出しました。
もうこの流れは止まりません。

 井上さんは外務省として審議官を議長として、大手商社に技術指導を主とする海外
農業投資を呼びかけましたが、やはり反応は冷たいものでした。
また農水省も国内農業の保護ばかりにとらわれています。ようやく海外農業調査だけ
はすることにしたのですが、政権交代の仕分けで潰されてしまいました。
外務省の
ODA資金は日本企業の支援には使えません。
官民一体の戦略は夢と消えたままです。

  ところが2010年の夏、ロシアが不作を理由に突然コムギの禁輸に踏み切りました。
シカゴのコムギ相場もすぐに高騰し、悪くすれば
3年前のパニックが再来するかも知
れないという不穏な観測まで流れています。
世界規模でみればまだ余裕はあるというのにです。増え続ける世界の人口の圧力で、
国際社会の思惑はさまざまです。何をきっかけにパニックがおきるかわかりません。
食料は安く安定的に輸入できるという信頼が崩壊した現在、食料輸入国日本はどう備
えればよいのでしょうか。
政権交代後も食料安保の優先順位は、かならずしも高くはないのです。
 一方で猛烈なランドラッシュを進めている韓国、中国、インドなどの行動は、一般
の経済常識から見ればあまりにも強引で、合理的でないかも知れません。
しかし変革の時代を迎えて、未来を自らの方向に引き寄せようという強い意志が見ら
れます。ただ受身で希望的な観測に頼っている者を打ち負かし、新しい時代の主導権
を握るかも知れないのです。
 ただ木村さんも井上さんも、まだあきらめてはいません。今、食料をめぐる世界の
システムは変わりつつあり、アメリカと穀物メジャーの絶対的地位が揺らぎ始めてい
ます。
韓国などはそれを明確に意識して、国家戦略を練ろうとしています。
日本もいつまでもアメリカ任せはできないでしょう。
厳しい世界情勢を知らされる一書でした。
                                     「了」

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