—紀元前の世界—
著者は京都大学法学部卒で、日本生命に入社して、ロンドン現地法人社長などを経て独立、ライフネット生命保険(株)を創業した現役ビジネスマンです。本書のほか、「全世界史ⅠⅡ」、「教養としての世界史」などの多くの著書があり、日々進歩する歴史研究の膨大な文献を読みこなして、ビジネスの視点からの独自の歴史観を提示しています。
ホモ・サピエンス(ヒト)は、7万年前ころに言語を話すようになりました。言語が強力な武器となって、ネアンデルタール人などの旧人類を圧倒して滅ぼしたのです。火を使って調理をすることで、消化に要するエネルギーを脳に回す余裕ができて脳が異常に発達し、その思考を整理するために言語が生まれ、共同社会とともに発達したという説が有力です。
言語の力を駆使して世界に散らばったヒトは、それぞれの地に適応して多様な言語が生まれました。同じ系統の言語を話す集団を語族と呼んでいます。人々は長い間、狩猟採集の生活を営んできましたが、地球は寒冷化(ヤンガー・ドリアス期)して飢えに直面しました。そのとき西アジア一帯に自生していたムギやマメを発見した集団が、農耕を始めたと考えられています。約1万年前のことでした。農耕によって定住するようになり、牛や羊などの牧畜も始まりました。ドメステケーションと呼ばれる劇的な進化を遂げたのです。ヒトはその後、約5000年をかけて地域に適応し、農耕社会と遊牧社会に分化してゆきます。
BC4000年紀後半に、メソポタミア地方でシュメール人が都市文明を成立させ、文字を発明しました。歴史の始まりです。すでにあった青銅器、余剰のムギなどの財の交易上の必要に迫られて、楔形文字で粘土に計算や記帳を行ったのです。いわゆる「四大文明」も相互の交易で密接な交流がありました。遠く離れた黄河文明でも、メソポタミアからコムギや二輪戦車(チャリオット)などが伝わっています。シュメール人はどのような人々であったかはよくわかりませんが、冶金、天文学、暦学、車輪、アーチ構造、帆船、鋤、ろくろ、ビール、ワイン、簿記、60進法、学校などを発明し、ユーラシア文明の基礎をつくりました。
それが初期のエジプトに伝わったのです。シュメールはまた、障碍者や弱者を受け入れる社会でした。人間は神が粘土で創ったと考えていました。多くの人間を創るので神は休めません。神はビールを飲んで疲れを癒し、酔ったまま粘土を捏ねたので障碍者が生まれたのです。責任は神にある。だから社会全体で簡単な仕事を与えて受け入れました。この世界最古の文明を築いたシュメール人は、やがて西セム系遊牧民の侵入と、土壌の塩分増加が重なって、忽然と姿を消してゆきました。チャリオットが軍事革命の引き金となって、大国の興亡が始まり、ヒッタイトとエジプトが覇権を争いました。第二千年紀には二つの火山の大噴火(サントリーニ島、アイスランド)が気候を激変させ、諸部族の移動を招きました。エジプトの王朝も次々に交代します。その影響は東方にも及んで、夏から商へと天命が移りました。商は、甲骨文字と青銅器を持った都市国家で、盛んに交易をして商業の語源になりました。
地中海では、海の民の活躍が始まってヒッタイトを滅亡させ、その製鉄の技術が流出して、一気に鉄器時代が到来しました。紀元前の世界史は、ここで急展開してゆくのです。「了」
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