「0と1から意識は生まれるか」
意識、時間、実在をめぐるハッシー式思考実験
ハヤカワノンフィクション文庫 2009,10 発行より
これは「SFマガジン」に連載されたSF作家橋元淳一郎教授の一連の思考実験
を、くだけた科学漫談風に解説したものです。
著者は表題にある古来からの哲学課題を、新しい科学の眼で縦横に解析してい
るので、とても素人に取り付けるようなものではありませんが、その中で生ま
れた思考実験のひとつが、この第一章の葉緑体人間でした。
そこだけをかいつまんでご紹介しましょう。
葉緑体人間は昔からSFでよく取り上げられてきました。もしこの葉緑体をバ
イオテクノロジー技術を使って人間の皮膚に植えつけることができたら、食料
の心配も要らず、働く必要もない。
ヒトはただ一生日光浴だけして暮らしていればよいのです。つまり太陽光は栄
養とはならない水と二酸化炭素から、葉緑体によって栄養となるデンプンすな
わち生命エネルギーをつくるのですね。
うまくゆけば二酸化炭素の増大や、食料不足の問題まで一挙に解決するという
わけです。ここで太陽エネルギーはいかにして生命エネルギーになりうるかと
いうというテーマが導かれました。
しかし葉緑体は植物細胞だけにあって、動物細胞にはありません。
なぜなのか-そもそも動物と植物はどのようにして生まれてきたのか。
これはもう進化論の問題です。
生物にはさらに菌類、原生生物、バクテリアがあるので、全体で5つの界があり
ますがその大先輩がシアノバクテリアで、20億年前から光合成をしていました。
しかし生物の全部が光合成するわけではありません。
そのエネルギーはどうやって得られるのでしょうか。
結局エネルギーとは何かという根本的な問題になるのです。
その答えはそう簡単ではありません。 エネルギーには運動、位置、熱、電気、
化学、核、質量エネルギーなど、いろいろな種類があってしかもお互いに変換で
きます。
著者はそのエネルギーを大胆にも高低差であると言い切りました。
例えば燃やすという現象は化学変化ですが、厳密にいえば電子が低い軌道に落ち
ることでエネルギーを出します。
原子炉でも原子核の中で陽子や中性子が落ちることで莫大なエネルギーを放出す
るのです。生命のエネルギーも化学反応ですから、やはり高低差なのです。
炭水化物と酸素が反応して、エネルギーゼロで安定した水と炭酸ガスになる。
それをまた高いところに持ち上げるのが、葉緑体の捉えた太陽エネルギーで、逆
の反応によって安定した水と炭酸ガスから炭水化物と酸素をつくるというわけで
す。これが光合成で、生命エネルギーの源はやはり太陽エネルギーでした。
さてそれでは光合成システムを持たない生物はどのようにしてエネルギーを得
ているのでしょうか。彼らは光合成でつくられた有機物を食べています。
そこでおきている反応は光合成とは反対で、呼吸などによって酸素を消費し、有
機物を分解してエネルギーを得ているのです。
その役割を担っている器官がミトコンドリアであることがわかってきました。
ここが生命エネルギーの発電所だったのですね。
生命のはじまりは35億年前のストロマライトが化石として知られていますが、最
初に光合成して酸素を吐き出したのはシアノバクテリアだったそうです。
つまり植物はその子孫ということになります。
葉緑体とシアノバクテリアは実によく似ていて、共通の祖先を持っているのです。
ではそれ以外のバクテリアが動物になって、植物を食べることになったのでしょう
か。ところがコトはそう単純ではありません。植物自体も有機物を生産するだけで
なく、夜間には自分でも酸素を取り入れてエネルギーを消費して二酸化炭素を放出
しています。葉緑体とともにミトコンドリアも持っているからです。
しかもそれぞれが独立したDNAを持っているといいますから、進化の途中で合流し
たのでしょう。太陽光エネルギーを光合成でとりいれたらそのまま使えばよいのに、
一度有機物にしてからまた分解してエネルギーにしているのです。
システムとしてはややこしい話で効率的ではありませんが、進化という試行錯誤の
結果なのでしょう。これが植物と動物の起源につながります。
ミトコンドリアもまた独立したバクテリアでした。まずミトコンドリアがある真
核細胞に侵入し、酸素を呼吸することによって有機物から莫大なエネルギーを得て
その細胞は活動的になり、やがて動物へと進化してゆきました。
ところがミトコンドリアを取り込んだ細胞のなかで、シアノバクテリアも取り込
んだものが現れたのです。
この細胞は大きなエネルギーを消費しますが、同時に太陽光と水だけでエネルギー
を生産できるので、もう動き回る必要がなくなって太りすぎて寝て暮らすようにな
りました。それが植物になったというわけです。
とすればヒトでもシアノバクテリアを取り込めば光合成ができる。
つまり葉緑体人間になれるということなのですね。
動物にもシアノバクテリアと共生して光合成しているものがいます。
ヒドラやカタツムリなどで、葉緑体動物はすでに存在しているのです。
ただ動物では葉緑体そのものを皮膚に取り込むと重くなりすぎるので、シアノバ
クテリアを使っているというわけです。
しかしシアノバクテリアも複雑で、とてもヒトには取りこめそうもありません。
そこでミトコンドリアを使ってはどうかというアイデアが出てきました。
ミトコンドリアはシアノバクテリアの後に生まれましたが、構造ははるかに簡単
で、葉緑体とシステムがとてもよく似ているのです。
葉緑体から光合成できる遺伝子を借りて、ミトコンドリアを一部改変すれば光合
成人間が完成するというわけです。
さあいよいよ葉緑体人間、実は光合成人間が誕生しました。その生活はどのよ
うなものになるでしょうか。
まず光合成の効率を高めるために、昼間は完全ヌードで日光浴をしなければなり
ません。食料は要らないので消化器などの内臓器官は不要になります。
したがって飲食文化がなくなる。農業が消滅するので、田や畑が消えて自然の風
景に戻ります。 ミトコンドリア型光合成人間には、水さえあれば大気の組成も関係ない。
地球環境問題は一挙に解決してしまうのです。
これは思考実験から生まれたひとつの世界ですが、皆さんも時にはアタマの体操
として、こんなお遊びはいかがでしょうか。
「了」
2011.2.26 記 吉澤有介