もう25年ほど前のことですが、盛岡から雫石を経て国見温泉に泊まり、花の秋田駒ケ岳を縦走して乳頭温泉に下りたことがあります。ほとんど人に会わない静かな一人旅でしたが、そのときたまたま立ち寄った「黒湯」の露天風呂で、とびきりの秋田美人と過ごした一刻が忘れられず、久方ぶりにまた出かけることにしました。「はやて」で行くと田沢湖までちょうど3時間。盛岡まで陰鬱な梅雨空だったのに、奥羽山脈を越えたここはなんとピーカンの快晴です。駅前からのバスは、日本一深い田沢湖の湖畔に立ち寄ってから、新緑の高原を1時間ほど快適に走って乳頭温泉休暇村につきました。
このあたりは深いブナの林です。戦中戦後にいっせいに伐採され、そのあとに再生した二次林ですが、今は4~50年生の明るい林に育っていました。ところどころに残した樹齢数百年のマザーツリーからの実生で、森が見事に回復したのです。ドイツの外交官がこの森を絶賛したという、、散策の小道が巡っていました。
素直に伸びたブナに見とれながら歩くこと20分ほどで、懐かしい藁葺き屋根の「黒湯」が見えてきました。ここは冬季は営業していません。今年はとくに大雪だったので、5月のGWぎりぎりにようやく開業できたのだそうです。乳頭温泉では、すこし離れた「鶴の湯」が秘湯として知られているほか、蟹場、孫六、妙の湯、大釜温泉がありますが、素朴さではこの黒湯が一番でしょう。
帳場の秋田美人に日帰り入湯料の500円を払って右手に回ると、昔のままの混浴の内湯に名物の打たせ湯、その外に白樺でつくられたあずまや風の露天風呂があって、すぐ上の源泉から引いた乳白色の温泉があふれています。いつかのように二人きりとはなれませんでしたが、若いカップルに当てられ、程よい湯加減にとっぷりと漬かって、春ゼミのコーラスを聴きながら時間がゆっくりと流れました。(撮影は遠慮)
ここに泊まりたい気持ちは山々でしたが、翌日は秋田駒ケ岳のお花畑を回って、そのまま秋田経由で新潟の家に泊まり、あわよくば佐渡に渡って天然スギを見るという欲張った計画です。ここからではバスも限られているため、動きやすい田沢湖畔バス停前の温泉ロッジでゆっくりすることにしました。日程を気にする現代人の悲しい性なのですね。
ところがこのロッジがまた当たりました。ネットでみた一泊2食つき7300円の手頃感につられただけでしたが、建物だけはやや古びてはいたものの夕食の豪華なこと、温泉の快適なこと、それにスタッフの可愛いこと、田沢湖の夕景の美しさもまた格別といったおまけまでついたのです。
泊まり客は、大阪からきたカメラ好きの70歳の男性、それに東京の山スキーの会のメンバーという山女2人連れだけ、ひとしきり話に花が咲いて生ビールのはかどる楽しい夕餉になりました。
明日訪れる秋田駒もすっきりと晴れて、いつまでも見飽きませんでした。「了」