桜井祐子訳、須田桃子解説、文芸春秋2017年10月刊
著者は、カリフォルニア大学バークレー校の化学・分子細胞生物学教授です。動物のウィルス感染の防御としてのRNA干渉が専門でした。ある日、細菌のDNAの塩基の並びに不思議な回文構造があることを知り、研究に専念するうちにそれは細菌がウィルスに感染しないために進化させた防御システムであること発見しました。その回文構造(CRISPR)を持つCas9というたんぱく質酵素が、ウィルス特有のDNA塩基を破壊するのです。これは遺伝子編集にも使えるとして、2012年サイエンス誌に発表したその技術は、またたくまに遺伝子治療の研究・治療から、マンモスの復活プロジェクトにまで発展してゆきました。
生命は、過去数十億年にわたってダーウィンの示した通りに進化してきました。ランダムな遺伝子変異が、多種多様な生物を生み出してきたそのプロセスは、自然発生的、偶発的でしたから、それを人為的に改変するには限界がありました。
しかし著者らは、この原始以来のプロセスを、完全なコントロール下に置くことに成功して、特定の形質を決める遺伝子コードさえわかれば、CRISPRを使ってどんな動植物のゲノムの遺伝子でも挿入・編集・削除することを、従来のどの遺伝子操作技術よりも、簡単で効率的にできるようにしたのです。
本書では、細菌の免疫機構を調べていた著者が、どのようにしてこの研究を進めてきたのか、過去数十年に開発されたDNA書き換え技術の進展のなかで、異分野の多くの研究者たちとの活発な交流と連携があったことを生々しく語っています。
遺伝性疾患は、DNA配列の異常によって起こります。その異常を編集・修正すれば治療できるのではないか。ある遺伝病患者が奇跡的に回復した事例から、染色体の自然な破砕と修復が行われたことが確かになりました。しかしそのような自然治癒の確率は極めて低いのです。もし遺伝子編集が人為的にできたら、あらゆる遺伝性疾患の治療が可能になることでしょう。科学者たちはその夢を追って、ゲノムの基礎研究を競っていました。
著者はバークレー校でRNA干渉の研究に打ち込んでいました。そこに全く面識のなかった同僚の教授で、微生物と環境の相互作用を専門とするジリアンから、ネットで探したといって電話があったのです。細菌のDNAの回文構造を研究しているが、これをあなたのRNA技術で進めたいという。これが著者のCRISPRとの初めての出会いでした。科学者を研究に駆り立てるのは、冒険心と好奇心、それに気骨です。この共同プロジェクトは、細菌DNAの奇妙な領域に深く分け入ることになりました。そして一見全く関係のない基礎研究が、次の大きな飛躍を生んだのです。各国の有能な人材が続々と参加し、緻密な実験を重ねました。DNA切断実験の標的には、下村博士のくらげ遺伝子も使用しています。そしてついにあらゆる任意のDNA配列を切断し、ゲノムの編集を可能とする新技術を確立したのです。
サイエンス誌に発表後、堰を切ったようにCRISPRの多様な利用方法が発見されています。しかも高校生が、数日で遺伝子編集ができるほど易しい。それだけに、人類の未来への限りないリスクも含まれているのです。著者は、その怖さを厳しく警告しています。「了」
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