「エピゲノムと生命」 太田邦史著 2015年3月25日 吉澤有介

-DNAだけでない遺伝のしくみ-
エピゲノムとは、生物のDNA の配列が同じなのに、柔軟で多様な表現を生み出すしくみのことです。生物は、エピゲノムを獲得することで、環境にしなやかに適応する力、複雑な体をつくる力、記憶や認知能力などを、細胞単位で構築してきました。
ドイツの文学者ケストナーの小説「ふたりのロッテ」は、別々の国で育てられた「一卵性双生児」の女の子が、全く異なったキャラクターで再会するという話です。またNHKのドラマ「ふたりっこ」も双子の話でした。生まれたときには全く同じDNAを持つ一卵生双生児であっても、育った環境が異なると違う表現型を示すことがあるのです。
しかもその変化した細胞の性質が、次の世代にも記憶・継承されることが明らかになってきました。ここで従来からの遺伝学ジェネテイクスに対して「DNAだけでは決まらない新しい遺伝学」エピジェネテイクスという概念が生まれたのです。DNAが生命のかなりの部分を決定しているという「生まれ」の呪縛に捉われている人がいます。しかし現在の生物学では、「生まれ」という生物基盤が、「育ち」によって影響を受けながら、やがて固定的な表現型を生み出すと考えるのです。遺伝子と環境には大きな相互作用がありました。
本書ではまず「生命とは何か」という根本的な問いに立ち返って、メンデル以来の遺伝学の長い歩みを詳しく述べています。多くのエピソードが紹介されていますが、ショウジョウバエなどのモデル生物による、気の遠くなるような実験が続けられました。一つの生物をその生物たらしめる「DNA情報(DNA基本配列のセット)」のことを「ゲノム」と呼びますが、現在ではヒトのゲノム配列は全部解読されています。DNAは化学物質で、その構造も明らかになりました。ワトソンとクリックの二重螺旋モデルはあまりにも有名です。
ヒトのゲノム配列のうち、実際にタンパク質やリボソームRNAなど、機能を持つRNAに翻訳される部分は、全体の1.5%にすぎません。残りの一部が転写制御部分で、約80%の部分は遺伝子に関係なさそうに見えます。そのため以前は「ジャンクDNA」といわれていました。ところが最近は、この領域が重要とされ、「非コードDNA領域」と呼ばれています。ここでは多くの機能未知のRNAが合成され、遺伝子の発現を制御していることがわかってきました。DNAの塩基配列は、先天的に決まっているので大きな変更はできません。しかし「非コード領域」からのメタ情報は、ダイナミックに書き込み、消去が可能です。細胞が置かれた環境に応じて情報が書き換えられ、その環境に適した遺伝子発現パターンが記憶されてゆくのです。iPS細胞の分化多能性にもこの制御機能が重要な役割を果たしていました。
エピジェネテイクスは第二の遺伝情報なのです。これは生活習慣による病気などへの対応にも密接な関係があることを示しています。遺伝と環境の相互作用は、「社会的遺伝」による階層の固定化、格差の拡大などを克服するヒントにもなることでしょう。「了」

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