著者は1959年生まれ、日大工学部土木科卒、イラストレーターでアウトドアに親しんできましたが、1996年にボランテアとして林業の現場に触れたことから、日本の森と林業問題に取り組み、多くの著作で積極的に啓蒙活動を続けています。
本書では、各地で展開する植林事業に疑問を呈し、日本の森ではそれよりも伐らないことで荒廃が進んでいる実情を鋭く告発しています。植林そのものは悪くないが、それはヨーロッパの荒地や、都市近郊の工場跡地などの緑化に良いのであって、日本の山林のように温暖で雨量の豊かな地域には必要ないのです。一時的にハゲ山になったとしても、数年後には草木が伸び、やがて実生の広葉樹の森に再生してゆきます。日本の自然の回復力はそれほど豊かなのです。事実、かって騒がれた西日本のマツ枯れの跡地が、今は緑あふれる広葉樹の深い森に覆われています。アカマツが枯れて、下生えの中層木がバックアップしたのです。植林は必要ありませんでした。しかしその様子は一切報道されていません。
一方では、戦後の拡大造林によって密植された人工林が、間伐されないまま放置されて、昼なお暗いモヤシ林になり、表土を押さえる下草も生えず、苗木のもとが挿し木だったために根も浅く、地盤崩落の危険が一杯です。もう少々の間伐では間に合わない。皆伐放置したほうが、実生によって自然回復するのです。しかしまたそこで植林すると、せっかく生えてきた陽樹を刈るなどの手間ばかりか、シカに餌付けしてやる逆効果になってしまいます。実際に植えなかった場所のほうが、多様な実生で見事な森に育っていました。
本書ではその植えない森づくりの好例として、伊勢神宮の宮域林を紹介しています。現在は典型的な照葉樹林の天然林として、世界的にも有名になっていますが、ここはかって江戸末期から明治、大正時代にかけてほとんど伐採され、そのため五十鈴川はたびたび氾濫しました。大正7年には宇治山田の門前町も、大洪水で多くが床上浸水したほどでした。
それが大正12年からの「神宮森林経営計画」で、見事な森林に再生したのです。尾根筋には幅30mの天然林の回廊を残し、川沿いにも両側60mの天然林のベルトを残しました。約5000haの半分は50%ずつのヒノキと広葉樹の混交林とし、あとの半分は一切植林しないで天然のままとしています。それらが緑のダムとなって、2004年の台風で486mm/日の豪雨でもビクともしなかったそうです。このとき隣の村のコンクリートで固めた載り面の人工林は壊滅的な被害を受けて、その違いは歴然でした。しかも宮域林でよく育ったヒノキに挟まれた広葉樹は、太い幹が通直で建築材に向くのだそうです。林内の道も、側溝もない自然の形です。このような自然の生態に配慮した優れた森づくりがあったのです。
現在の人工林への対策として、著者は鋸谷(おがや)式施業を薦めています。鋸谷さんは福井県の人で、日本の自然の特質を熟知して、透徹な目で森を見る稀有な林家です。「山は畑ではない」という持論で、天然の広葉樹を生かした独自の間伐法を実践しています。
具体的には、釣り竿で間隔を見ながら強度間伐をして、下層植生を育て実生の広葉樹を伸ばします。やがてその広葉樹は、落葉・常緑を問わず定期的に葉を落とし、それが豊かな腐葉土になります。スギ・ヒノキの枝葉は腐らずに地表を被い、光を遮断して微生物も生きられません。土の養分は流出する一方です。生物は自分の排泄物で自分を育てることはできません。他の生物に分解してもらって循環することによって、また自分に戻ってくるのです。豊かな表土がなければ、スギ・ヒノキも育たず、そもそも林業は成り立たちません。また広葉樹は土中に深く根を張って雨水を吸収します。結局、いい山をつくるには、下草・雑木を侵入させた混交林にしてゆくことだと鋸谷さんはいいます。
しかし多くの林家、しかも有名な論客までが、まだ過密な純林で、下草のない森の年輪のつまったスギ・ヒノキに固執する傾向が残っています。侵入する広葉樹を悪とみて刈ってしまうのです。通直完満という価値を追ってのことですが、大きな誤りでしょう。
鋸谷式間伐では、基本的に切り捨て放置します。その伐る本数があまりにも多いので、依頼した林家も驚くほどだそうです。放置した間伐材は乱雑に組み合ったままですが、実はこれが表土を押さえて斜面が安定する。見た目は悪いが、手間がかからず仕事が速い。さらに増えすぎたシカが歩き難くて、侵入を敬遠して激減した効果もあったそうです。
当初は災害跡地のように見えても、選木されて残った木はたちまち元気に育ち、雪折れにも強いのです。しかも放置材の下から低木やつる草は伸び、多様な生物が住み着いてきます。通常の間伐では、せいぜい30%を伐る程度ですが、それではすぐ樹冠がつまってしまいます。しかしこの鋸谷式では、そのまま健全な姿に形成されてゆくのです。
鋸谷さんは、さらにその間伐法を進化させ、林分健全度グラフで、立木密度、形状比、胸高直径などの各要素をコントロールする、新間伐マニュアルをつくりました。ネットで見ることもできるので、どうぞご覧ください。レーダーチャートになっています。これは日吉林業の湯浅さんも絶賛しているそうです。
ここで切り捨て放置ではもったいないという考え方も出てくることでしょう。しかし奥山の場合、ムリに大規模林道や作業道をつくり、表土を削って谷を埋め、山を大きく破壊したケースがあまりにも多いのです。伐採や集材のコストがかかりすぎます。奥山は早く実生の自然林に戻さなければなりません。野生の動物たちの住みかにするのです。
中ほどから里山にかけての人工林は、鋸谷間伐法で強度に伐採し、四万十式などの山を傷つけない作業道に、小さな機械による集材法が求められます。その際にはあくまでも表土を大切にして実生の広葉樹の育成を促進することを考えましょう。もう植林する必要は全くありません。植えすぎた場所を実生の木の森に戻してゆく、新しい山のグランドデザインを確立してゆくことなのです。
著者は現在、山の古民家で暮らしています。井戸を再生し、囲炉裏もつくりました。薪ストーブよりも、囲炉裏のほうがはるかに気持ちがいい。室内にスギ板を多用しましたが、自然乾燥の良さを実感し、愛工房の超低温乾燥技術に惚れ込んでいます。暮らしの実践を通じての主張には重みがありました。とくにこの「植えない森づくり」は、林業についての多くの知見が詰まっています。なかなか手応えのある好著でした。「了」